田代の申し出た条件とは、新たに作る屋敷を森田組に提供するとともに自分もそこに住まい、森田組が集めた女を田代の享楽のために提供することである。
この後、いくつかの偶然が重なり、田代は自らが理想の女性とする静子夫人を手に入れることになったのである。
嗜虐趣味を持ち森田を支援するための財力を有する田代と、秘密写真や映画といったいかがわしい事業の才能を持つ森田、そして生きるために自分たちをモデルにしたポルノ写真を売り歩いていた葉桜団の少女たちの出会いが、今回の静子夫人誘拐に端を欲する一連の美女失踪事件のきっかけになったとも言えるだろう。
義子とマリが2本目のビールを半ば以上空けたところで店の中に女が入って来た。
「あれ?」
入り口の当たりできょろきょろと当たりを見回している女を見て、義子が声を上げる。
「久美ちゃんやないか」
その声に気づいた久美子は一瞬緊張した表情になるが、すぐに微笑を浮かべ、義子とマリの方へ近づく。
「義子さん、だったっけ。久し振りね」
「久し振りって程でもないけど。あれからどうしてたんや」
「別に、いつも通りふらふらしていたわ」
「そうか」
義子は久美子を、自分たちと同じボックス席に座るよう促す。
「マリは初対面やったね。この前悦子や直江たちを助けてくれた久美子はんや」
「ああ、あんたが」
マリは頷くと、久美子に微笑みかける。
「マリです、よろしく」
「はじめまして、久美子です」
マスターが新しいビールとグラスを持ってくる。
「あ、私……」
ためらう久美子にグラスを持たせると、義子がビールを注ぐ。
「遠慮せんでええ。この店はあたいら、つけがきくんや」
「そうそう、溜まったら身体で払ったらいいし、ね、マスター?」
「マリちゃんはだいぶ溜まってますよ。最低4回は抱かせてもらわないとね」
マリとマスターのきわどい会話にどぎまぎしている久美子を、義子が楽しげに見る。
「久美ちゃんはあれだけ腕っ節が強いのに純情なところがあるんやな。きっと育ちがええんと違うか」
「そ、そんなことないわよ、からかわないで」
「そう言えばマリも歌舞伎町で久美子みたいな強くて綺麗なお姉さんに助けられたことがあったな」
義子の言葉に久美子の肩がピクッと震える。
「そう言えばそんなこともあったわね」
「あのお姉さんにもたっぷりお礼をして上げたけど、今頃どうしているかな」
「さあ、綺麗な女の人だったからきっと素敵な旦那さんと結ばれているんじゃないかしら」
義子とマリはそんなことを言いながら笑い合う。
(ひょっとして私の正体に気づいているのでは?)
久美子は二人の意味ありげな会話に緊張する。
二人は明らかに久美子の兄、山崎探偵の助手で恋人であった京子のことを話している。そうやって久美子にカマをかけているのだろうか。
(ここは平静を保たなければ)
久美子と葉桜団の出会いが、京子のそれと似てしまったのは実際、全くの偶然である。ここで動揺すれば義子たちの不審を招き、折角つかんだ手掛かりへの糸が断ち切られてしまう。久美子は必死で落ち着こうとする。
「マリはレズっ気があるから、あの時のお姉様に惚れてたんやないか」
「うちの姉さんと一緒にしないでよ」
マリとそんな軽口を交わしながらしばらく久美子の表情を観察するように眺めていた義子が話題を変える。
「ところで久美ちゃんはこのあたりはよく来るの?」
「いえ、そうでもないわ」
久美子は一瞬考えると首を振る。実際、歌舞伎町に足を踏み入れたのは兄の仕事を手伝い始めてからのことである。よく来ると言って突っ込まれたらすぐにボロが出かねない。
「ふうん、そんならこの前といい、今日といい、えらい偶然やね」
「実はあなたたちに会えればいいな、って思っていたのよ。前に、ここが溜まり場だって聞いたから、覗いてみたの」
「あたいたちを探していた? それはどうしてなの」
義子が訝しげな表情で久美子に尋ねる。マリはじっと黙って久美子の顔を見つめている。
「ほら、この前銀子さんが言っていたじゃない。暇を持て余して刺激を求めているお金持ちの奥様なんかをある屋敷で男に紹介する仕事」
「ああ、あれか」
義子は微笑を浮かべ、マリの方をちらりと見る。
「あの話を聞いた時は、そんなことを望む女の人なんかいるのかしらって疑問に思ったけれど、試しに色々とあたってみたの。そうしたら、二人ほどそういったことに興味があるってご婦人が現れたのよ」
「へえ」
じっと話を聞いていたマリが思わず身を乗り出す。
「どんな女なの? オカチメンコじゃ相手は現れないわよ」
「その点はたぶん問題ないわ。二人とも品の良い美人よ。一人は着物が似合う和風美人、もう一人はプロポーション抜群の洋風美女よ」
「それが本当の話やとすごいけど」
「そう言われると思って写真をもって来たの」
久美子はカバンの中から二枚の写真を取り出す。
一枚は村瀬小夜子と文夫の母、美紀を撮ったもの。もう一枚は千原美沙江の母、絹代を写したものである。品の良いスーツを身につけた美紀の華やかな美貌と、清楚な和服姿の絹代の淑やかな美しさに、義子とマリは思わず息を呑む。
「これは……すごい美人や」
「大丈夫かしら?」
「大丈夫どころか、これだったら希望者が殺到するわ」
「いったいどこのご婦人なの?」
マリが興奮した面持ちで久美子に尋ねる。
「こっちの洋風美女が、ある名門レストランの社長夫人。こっちの和風美女が有名な小説家の奥様」
「名前はなんていうの」
「本名は勘弁してほしいそうよ。洋風美女の方が夏子さん、和風美女の方が冬子さんってことでどうかしら」
「夏子と冬子か。まあ、本名を知らない方が後腐れがなくてええわ。齢はいくつ?」
「夏子さんが39歳、冬子さんが36歳よ」
「意外といってるんやね」
義子が頷く。
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