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はじめに

 SM大衆化の時代である。  NHKの大河ドラマに主演していた女優が緊縛写真を発表する。ボンデージファッションに身を固めた素人の女達が視線を集め、SM雑誌に連載されていた小説が文庫化され、キオスクに並ぶ。 ここ数年でSMは急速に市民権を得るようになった。マドンナのボンデージをテーマにした写真集は女性にも人気があった。レディス・コミック誌は軒並みSM劇画を掲載する。もうシネマジックのビデオを観たり、SMスナイパーを読んだりするくらいでは、誰もあなたのことを変態とは呼ばない(と思う)。  SMがこれだけ普及するに至った理由の一つは、エイズの恐ろしさがあるだろう。  死に至る病であるエイズへの感染の恐怖により、「粘膜の接触をともなう」快楽産業はみるみるうちに凋落した。一方、本来はしばしば肉体的苦痛をともなう筈のSMプレイは、皮肉にも病気への感染の恐れがない「安全な遊び」として相対的に脚光を浴びることとなる。巷にSMクラブが雨後の筍のように乱立し、ソフトSMは女性雑誌にも取り上げられるようになった。  しかし、危険な匂いを失ったSMがSMといえるだろうか。  現在のSMの大衆化は、主としてエイズというSMの世界の外部からの要因からもたらされたものといえる。  しかしながら、今から40年前に、SMの世界の内部から巨大なパワーをもった作品が誕生した。SM雑誌は本屋の片隅にひっそりと置かれており、タイトルに「SM」という文字を入れることすら遠慮していたが、その誌面には毒と病気と危険な匂いが満ちていた時代においてである。  それが『花と蛇』という作品である。  SM小説の巨匠、団鬼六氏著『花と蛇』はSMの世界に一種の革命をもたらし、その後のSM小説の流れに多大な影響を与えた。膨大な数のエピゴーネンが生まれ、また新興のSM雑誌は同氏の連載作品を獲得することに躍起になった。  『花と蛇』という作品がどういう点で従来のSM小説と違っていたか、またそれが与えた影響がどのようなものであったかについては、本稿でゆっくりと解析したい。  始めにお断りしておくが、筆者は『花と蛇』連載時のリアルタイムの読者ではない(連載開始当時筆者は満3才であった)。しかし高校一年生の頃この作品の魅力にとりつかれて以来、25年以上にわたる本作品への執着を、いつか自分なりに整理してみたいとの思いにとらわれ、つたない文章をここにまとめてみたものである。  本作品は今読んでも十分面白く、名作としての価値を失ってはいないとは思うが、連載当時の時代背景や、隠された作品の構造を知ることによって、作品は読者にとってより興趣をそそられるものとなるだろう。  『花と蛇』が奇譯クラブ(奇ク)誌上に初めて掲載されたのは昭和37年8・9月合併号である。  平成4年は連載開始30周年に当たり、あたかもこれを記念するかのように、同年から翌5年にかけて太田出版から本作品の全3巻の決定版が刊行された。  また、平成11年に幻冬舎から、この太田出版版を底本とし、結末部分に加筆を行った文庫版が発行されている。この幻冬舎版の『花と蛇』は現在でも書店で見かけるので、入手することは可能である。  『花と蛇』のオールドファン、また太田出版や幻冬舎の新装版で初めてこの作品にふれた読者にとって本稿が『花と蛇』の世界をより深く味わうきっかけとなれば幸いである。

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