『花と蛇』の主人公は静子夫人であり、静子夫人が日本の官能小説史上有数の魅力的なキャラクターであることは疑う余地はない。しかし、仮に悪漢達に責められるヒロインが静子夫人一人であったら『花と蛇』は足掛け11年にもわたる長寿作品とはならなかったであろう。
『花と蛇』は責められる側だけでも八人の美男美女がおり、これに多種多様なキャラクターを持つ責め手が加わる。責め手と責められる側の組み合わせ、またそれ自身が責めのバリエーションの一つとなっている責められる側のコンビの組み合わせにより、責めのパターンは無限に拡がっていく。
これにより、単独のキャラクターを責める場合に生じるマンネリを極力回避することが可能となる。実際、『花と蛇』ではあるキャラクターへの責めから別のキャラクターへの責めへの場面転換の手法が多用されており、読者を飽きさせない。
また、年齢的にも性格的にも幅の広いキャラクター(最年少の美津子(女子高生、18才)から最年長の珠江(医学博士夫人で華道の後援会長、31才)まで13才の年齢差がある)を登場させることにより、幅広い層のファンを獲得することが可能になる。
読者は一般的には自分の年齢に見合ったヒロインに憧憬と欲情を抱く傾向があるし、好みの性格も色々である。静子夫人は理想の美女として描かれているが、奇クの読者投稿欄を見ると、ほかのヒロインにも根強いファンがいることがうかがえる。特に鉄火娘タイプの京子ファンの多さは特筆すべきである。
なお、作者の団氏としては静子夫人にこんなに人気が集中したことは意外で、むしろ小夜子のような令嬢タイプに人気が集まると考えていたようである(「鬼六談義」より)。
さらに、長い連載の間に読者の方も年齢的に成長し、それに伴い読者の好みのタイプが変化していくこともある。このような場合、様々なバリエーションをもったヒロインがいることは強みである。筆者も、『花と蛇』を読み始めた当時は京子や小夜子のファンであったが、近頃は熟女タイプの珠江夫人などに好みが移ってきている。詳しくは後述するが、これほどの長期連載にもかかわらず、物語の中の時間はほとんど経過せず、作中のキャラクターは歳をとらないのである。
たくさんの人間を責めるSM小説はこれまでもあったが、そのほとんどが責められる側をマスとして描いている(サドの小説などはその典型であろう)。これだけキャラクターを描き分けたSM小説は『花と蛇』が最初ではないか。
もちろん登場人物の描写が類型的であるという批判はあるし、団氏自身もそれは認めている。しかし、類型的であっても各々の登場人物を丁寧に描き分けることが重要である。そもそも『花と蛇』以前はそれすらもされていなかったのである。
この「類型的であっても丁寧に描き分ける」という行為は思ったよりも大変らしい。筆者の見るところ、『花と蛇』以後、一つの小説において責められる側に多様なキャラクターを登場させ、描き分けにかろうじて成功したのは、団氏以後はわずかに千草忠夫氏と杉村春也氏を認めるのみである。
これを考えれば、『花と蛇』以後いわゆる「SM大河小説」を書き得たのがこの2人だけであったのも無理からぬことである。
やや本題を離れるが、杉村春也氏の『哀傷姦譜曲(または、『哀姦未亡人』」)』は、現在のところ日本のSM小説における唯一の、真の意味での大河小説であろう。杉村氏はこの作品で三代にわたって責めを受ける松原家の女達(母娘、姉妹)の苛酷な運命を描いている。この作品では作中の時間の経過により登場人物の年齢、属性が変化しており、キャラクターの重複が巧みに回避されている。
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