「随分大きなお屋敷ね」
車から降り立った町子は三階建ての巨大な屋敷を見上げ、驚きというよりもなかば呆れたような声を出す。
「いくら郊外とは言っても東京都内にこれだけの土地を持っていると、随分税金もかかるでしょうね」
「そりゃあ伊豆とはだいぶ違うだろう」
岡田もまた運転席から降り、要塞を思わせるその屋敷を見上げながら町子に答える。
岡田光三郎が経営する和洋産業は、もっともらしい社名だがその実態はブルーフィルムを始めとするポルノグラフィの輸出入業者であり、社員は岡田以外は秘書の内田と、町子の二人きりである。
町子は以前、五反田のトルコ風呂(ソープランド)に勤めていたが、ふとしたきっかけで岡田と知り合ってからは、社員兼情婦といった格好で岡田の会社で事務兼雑用をこなす傍ら、岡田が製作するポルノ映画の役者としても駆り出されている。
「何でこんな馬鹿でかい屋敷を作ったのかしら。田代社長って人は身寄りはいないんでしょう。そうなると普段住んでいるのは社長と、せいぜいお手伝いさんだけじゃない」
「ここは田代社長の住まいって言うだけじゃなく、森田組に加えて葉桜団っていうズベ公たちの本拠にもなっているって話だ」
「その森田って人と、社長は知り合いなの?」
「森田組って言うのは一応、俺の同業にはなるんだが直接は知らないんだ。ただ、関口親分が以前から懇意にしているってことで今回、俺にも声がかかったんだが」
岡田はそんなことを言いながらポケットから煙草を取り出し口に銜えると。町子がハンドバッグからライターを取り出し、煙草に火を点ける。
「すまん」
岡田は町子に会釈をして気持ち良さそうに煙草を吹かす。
岡田は世の中の悪徳は一通り経験して来ており、仕事では貪欲かつ冷酷な一面も発揮するが、町子に対しては意外な優しさを見せることがある。
町子もまた長くトルコ風呂に勤めていたせいで世の中の裏側は嫌と言うほど見てきており、そもそも男に対して幻想を抱くような年でもない。惚れ合った訳でもないのだが、互いの中に自分と同種のものを感じた岡田と町子が出来合ったのはある意味、必然だったのかも知れない。
森田はポケットを再び探ると、封筒に入った招待状を町子に渡す。
「森田組専属女優のお披露目をしたいので是非ご参集願いたい――ポルノ女優の顔見せ程度にたくさんの客を呼ぶなんて、森田ってのも変わった男ね」
「まったくだ」
岡田はそう言うと唇の端を歪める。
「とにかく、東京に来るのは久しぶりだわ」
「そう言えば町子は、このところ伊豆にこもりっきりだったからな。俺は何度が東京を往復したが」
煙草をくゆらせる岡田のやや疲労の溜まった横顔を見ながら町子はここ数ヶ月の間に自分の身に生じた変化を思い出す。
町子が岡田と出会ったのは、町子のかつての同僚である大野直江から、直江が仲居として働く伊豆の旅館「月影荘」に誘われたのがきっかけである。
といっても直江の目的は町子を自分と同様に仲居として働かせることではなく、直江とその情夫である三郎の悪巧みに荷担させることだったのである。
直江のヒモでチンピラの三郎は、組で不始末をしたことが原因で直江を連れて逃げ、一時下田でバーテンをしていたが、ある日釣りをしていた際に大月幹造という老人と知り合い、すっかり懇意になった。三郎がついていたことは、幹造が月影荘という旅館の主人であり、伊豆近辺に広大な山林と多額の有価証券を持つ資産家だったことである。
幹造は元海軍大尉という経歴が示すように昔気質の頑固な男だったが、反面世間には疎いところがあり、口のうまい三郎のことをすっかり信用して番頭に雇ったばかりでなく、その情婦である直江まで仲居にしたのである。
幹造に二人の娘がおり、姉の雪路は女の町子が見ても凄みがあるほどの美女だったが、交通事故が原因で視力をほとんど失っていた。そのため幹造は雪路の将来を憂い、旅館を含む財産のすべてを雪路の名義にしていた。
如才なく、かつ献身的に働く三郎に、幹造はますます信頼を置くようになった。心臓に持病を抱える幹造は自分が亡き後、雪路のことを三郎に託すとまで口にするようになったのである。
まもなく幹造が心臓発作が原因で急死したのは、三郎にとってのさらなる幸運であった。幹造の死の三ヶ月後、三郎は雪路を巧みに口説いた。三郎に対して男性として特に好意は感じていなかった雪路だったが、自分を大月家の婿として迎えて月影荘をともに盛り立てていくのは生前の幹造の遺志だと力説する三郎を断り切れず、ついに三郎との結婚を承諾したのである。
直江という情婦のいる三郎は、盲目の雪路と一緒になって月影荘を継ぐつもりなど毛ほどもない。狙いはもちろん雪路の財産であり、美しい雪路自身をも性の商品として月影荘とともに売り飛ばすことであった。
多少の紆余曲折はあったが三郎と直江の姦計は見事成功し、雪路だけでなくその妹でヨーロッパに美術の勉強に出かけていた雅子までが、彼らの張り巡らせた罠に落ちたのである。
町子とともに三郎と直江の悪巧みに荷担し、月影荘および雪路と雅子の姉妹を買い取ったのが和洋産業の岡田である。
閑静な旅館であった月影荘は今や岡田の手によって、ポルノ映画の撮影基地として作り替えられており、日夜、雪路と雅子の主演によるブルーフィルムが撮影されている。亡き幹造が娘のために残した月影荘は皮肉なことに、美貌の姉妹を繋ぐ性の牢獄と化しているのだ。
もともと目の不自由な雪路は、ほとんど外出することもなく、妹の雅子は幹造の葬儀が終わってから、留学先のヨーロッパに帰っていると思われているので、数少ない月影荘の周辺の住人も、まさか姉妹が地下の牢に素っ裸で幽閉されているなどと、夢にも思っていない。
「伊豆の方は大丈夫かしら。あの姉妹には一度逃げられかけたし、雅子はまだ油断できないわ」
「さすがにもうそんな気力は残ってないと思うがな」
岡田はそう言うと首をかしげる。
商売柄、好色さでは人後に落ちない岡田だったが、いわば商品である雪路や雅子に対しては、必要以上に手を出すことはなかった。事実上月影荘を仕事場兼住居としている岡田が、性の処理の相手として町子を選んだのは自然の流れといえた。また、町子も金回りのよい岡田を憎からず思っていたのである。
「三郎と内田だけならともかく、直江もいるから心配ないだろう」
雅子がかつて姉を連れて逃亡を企てたとき、男たちがおろおろしていた一方で、最も肝が据わっていたのが直江であった。
三郎と直江も二人の美女を責めることに夢中になり、月影荘に住み込んだまま岡田の事業に加わっている。もちろんその仕事の中には、今や海外向けポルノ映画のスターとなった雪路と雅子姉妹の世話も含まれている。
「なんだか最近、節子の様子が気になるのよ。妙にあの姉妹に同情的なのよね」
「節子は直江の遠縁の娘なんだろう。その節子が二人の逃亡に手を貸すと言うのか」
「節子って、どうも雪路に惚れているみたいなのよね」
「女同士でか?」
岡田は驚いて目を丸くする。
「あの娘の目を見ていれば分かるわ。私が両刀遣いのせいかもしれないけど」
町子はそう言うと「一本頂戴」と岡田に手を伸ばす。岡田が煙草の箱を差し出すと、町子はそこから一本取り出して口に銜え、火を点ける。
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