「この屋敷に連れて来られてから色々な人とそのような関係を結ばされました。京子さん、桂子さん、小夜子さん、珠江様――みな、私とは様々な形で縁があり、ごく当たり前の人間関係を築いてきた方ばかりですわ。もちろんそのような方々に対して、情欲めいたものを感じることなど決してありませんでした。そ、それなのに……」
静子夫人はそこまで言うと感情の高ぶりに嗚咽が込み上げてきたのか、言葉を詰まらせる。
「それなのに、ここで思いもかけない関係を強制されてからは、その方々のことをこれまでと同じようには見られなくなったのです」
「おかしな気持ちになってしまうと言うのね」
銀子の問いに静子夫人はコクリと頷く。銀子は朱美と顔を見合わせると「それがこちらの付け目なのよ」と笑う。
「情の深い奥様のことだもの。肉の関係を持てば当然、その相手に愛情めいたものを抱くことになるわ。そうなるとこれまでのような気持ちではいられないのは当然のことよ」
「たとえば小夜子嬢は奥様にとって、もう日本舞踊の弟子ではなく、可愛い年下の恋人のような存在になっているはずよ。奥様はもう、肉体だけでなくてその心まで自分の自由にはならないの。それが奥様がこちらが目指す真の奴隷に近づいてきた何よりの証なの」
銀子の言葉に静子夫人は衝撃を受ける。
「もう後戻りは出来ないのよ。わかるでしょう」
銀子がそう念を押すように言うと静子夫人はしばしためらいを見せていたが、やがて諦めたようにコクリと頷く。
「わかったら悦子と関係を持つのよ」
銀子がそう言って朱美に頷きかける。朱美は悦子の首輪に取り付けられた鎖をぐいと引く。
「ううっ」
悦子は苦しげに首を押さえながら、朱美に引き立てられていく。鉄格子の扉の鍵が開けられ、悦子は静子夫人の檻の中へと蹴り込まれる。
「悦子さん、大丈夫」
静子夫人は悦子に駆け寄ると抱き起こす。
「ああ、奥様」
悦子は静子夫人の腕の中で声を上げて泣き出す。静子夫人はそんな悦子を宥めるように、しきりに背中をさすっているのだった。
そんな二人の様子を憎々しげに見守っていた銀子が、
「仲が良いじゃないの。これならレズのプレイだってすぐに出来るわね」
と吐き捨てるように言う。
「さ、始めなさいよ。愚図愚図していると今度こそ、悦子のそこが二度と使い物にならないくらい酷いお仕置きにかけるわよ」
「お、奥様……」
銀子の脅しに震え上がった悦子は、静子夫人にすがりつくように身を寄せる。
「悦子さん……」
静子夫人はそんな悦子を抱き寄せるようにすると、そっと頬ずりをする。
静子夫人の頬と自らの頬が触れ合った瞬間、悦子は電流に触れたようにビクッと身体を痙攣させる。
「悦子さん、許して……」
そんな悦子の唇に、静子夫人の花びらのような唇が寄せられ、そっと触れ合う。まるで初めて異性と肌を触れさせる処女のように震える悦子を宥めるように、夫人の滑らかな舌がゆっくりと悦子の口中に侵入する。
夫人の舌先はまるでそれ自身が生き物のように悦子の舌を追い求め、そっと掴まえると戯れるように絡み合う。
見る見るうちに悦子の顔が赤く上気していくのを、町子は驚きの目を向けている。
(なんてキスが上手い女だろう)
レズビアンの経験も長い町子は、キスだけで相手を興奮状態に追い込む静子夫人の技巧に舌を巻く思いになるのだ。
しかしながら悦子の陶酔が高まるほど、銀子の表情は徐々に強ばっていく。
「やっぱり静子夫人は上手いわね。あれは天性のものだわ」
朱美が感心したようにそう言うと、銀子は「いつまでキスしているのよ。早く本格的なプレイを始めなさいっ。こっちは忙しいのよ」と苛々した声を上げる。
静子夫人は一瞬恨めしそうな視線を銀子に向けたが、すぐに諦めたように目を伏せ、悦子の耳元に何ごとか囁きかける。
悦子はさも恥ずかしげに頷くと、薄汚れた毛布が敷かれた床の上にゆっくりと身体を横たえていく。
「いいわね、悦子さん」
静子夫人が悦子の覚悟を促すように呼びかけると、悦子は再び小さく頷く。静子夫人は悦子の上にゆっくりとその身体を覆い被せていくと、いきなり耳たぶからうなじ、そして胸元へと激しい接吻の雨を降らせ始める。
「ああっ」
思いがけない静子夫人の攻撃に、悦子は狼狽の声を上げる、夫人はかまわず悦子の身体のあちらこちらに接吻し続ける。
悦子は夫人の攻撃に耐えるようにじっと目を閉じ、唇を噛むようにしているが、時折堪りかねたように身体をビクッ、ビクッと震わせる。それはすなわち静子夫人が悦子の弱点を探り当てた証拠であり、夫人は腰を据えて愛撫を続ける。
「あっ、ああっ」
静子夫人はさらに激しく、悦子の弱点に集中攻撃をかける。悦子は堪らず声を上げ、裸身を激しく痙攣させる。開始からものの数分も立たないうちに悦子を快楽の渦の中に巻き込んだ静子夫人の技巧に、町子は再び驚くのだ。
「本当に上手だわ。あれで本当にこの屋敷に来るまでレズの経験がなかったというの」
町子が朱美に尋ねると、朱美は「本当よ」と答える。
「静子夫人のレズの初体験は京子だったんだけど、その時に鬼源さんにじっくりと仕込まれたのよ」
「鬼源って?」
「さっきお芝居で、女郎の調教役を演じていた男がいるでしょう。あれが鬼村源三、通称浅草の鬼源っていう有名な女体調教師よ」
「女体調教師……」
「おかしいでしょう。そんなことが商売になるのね。でも、鬼源さんにかかっちゃ清純な処女だろうが、お上品な人妻だろうがあの通りよ。どんな女でもきっちりと商品に仕立てあげるわ」
朱美はそう言って笑うと、悦子と本格的な絡み合いを開始した静子夫人を指さす。
「その鬼源さんが舌を巻いたのがあの静子夫人よ。あの綺麗な顔に迫力のある肉体、それにとびきりの名器と来ればまさに鬼に金棒だわ」
「名器って?」
町子は訝しげな表情で朱美に尋ねる。
「町子さん、巾着とか、蛸って言葉は聞いたことはある?」
「そう言った道具を持つ女がいるってことは聞いたことはあるけど」
「静子夫人がその、蛸って名器の持ち主なのよ」
「本当なの」
町子は驚いて目を見開く。
「本当かどうか、こればっかりは女のあたしたちじゃ確かめようがないけど、静子夫人と交わった男たちが口を揃えて言うから確かなことだと思うわ。鬼源さんに言わせれば、何千人に一人って名器らしいわ」
町子は改めて静子夫人を見る。輝くばかりの容貌に見事に均整のとれた肉体、まさに造化の極致とも言うべき静子夫人にそのようなものが備わっていようとは――世の中というものはこれほどまでに徹底して不公平に出来ているものかと、町子は呆れるような思いに駆られるのだった。
272.檻の中(4)

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