8.里美(3)

週末は役員会もなかったため、私と妻は2人で映画に出かけ、食事をしました。私は会社、妻は役員会とこのところ忙しかったため、ゆっくり話をするのは久しぶりのような気がします。
食事の後でお茶を飲みながら、私は何気なく役員会についてたずねました。
「そういえば、いつも二次会ではどんな話をしているんだ」
「どんな……って。色々ですわ」
「毎週のように同じ面子で食事をし、酒を飲んでいるんだ。よく話題が尽きないな」
「男の役員の方はそれぞれ仕事をもっておられるし、そういった話も多いです。それと、全員がラグビー部のOBなので、ラグビーの話とか……」
「絵梨子や藤村さんは退屈じゃないのか?」
「いえ……私たちの話も聞いてくれますので」
「たとえば?」
妻の表情が少し硬くなったような気がしました。妻は少し考えているような顔つきをしていましたが、やがて口を開きます。
「うちのこととか……主婦同士の会話のこととか……」
「そうか」
そんなことを聞いて面白いものでしょうか。男性役員はそういった話題なら、それぞれの奥さんから毎日いやというほど聞かされているでしょう。
二次会には妻と藤村さんが交互に出ているわけですから、常に男4人、女1人という組み合わせになります。事務的な連絡以外で男が女と話すときに何の下心もないというのは考えにくいのは、ライブチャットの例を見れば分かることです。しかし、私はその時はまだ事態をそれほど深刻にはとらえていませんでした。

翌週は比較的平穏な日々が続きました。唯一私の日常に起こった変化は、毎日30分から1時間、里美とライブチャットをするようになったことです。しかし、私は里美にアダルトな行為、たとえば服を脱がせたり、オナニーをさせたりなどということはしませんでした。会社の個室、それも昼休みに話をしていたということもありますが、最初に受けた印象のとおり里美は頭のいい娘で、普通の会話が十分楽しかったからです。
里美は私の仕事でもあるウェブビジネスに元々興味を持っていたようで、何日かたつと自分から進んでそういう話題を出してきました。主に雑誌やネットで調べた事柄ですが、その中には時間のない私にはカバー仕切れない情報もあり、またそれに対する里美なりの分析の着眼点も面白く、まるでバーチャルな秘書が1人現れたようです。
一方、妻は私が帰宅した時にも、B高校から支給されたPCの前に座っていることが多くなったようです。私を出迎えるときには画面は閉じられているのですが、いかにも今まで使っていたという風に、PCの電源は入ったままでした。
妻はさすがにノーブラということはなくなりましたが、だいぶ暖かくなったこともありTシャツや、半袖のブラウスといった格好でPCに向かっているようです。画面映りを気にしているのか少し化粧が濃くなっているのも気になりました。
そうこうしているうちに次の週末がやってきました。妻は予定通り昼過ぎからPTAの役員会で旅行に出かけました。息子も予備校の講習で遅くなるということで、私は家の中に1人きりになりました。
夕食後、リビングでテレビを見ながらウィスキーを飲んでいた私は、ふと部屋の隅に置かれているPCに目をやりました。
私の会社には翌週導入予定になっている、下田の会社の会議システムがどんなものか興味が湧き、私はB高校から妻に支給されたPCを立ち上げました。
さすがはワークステーション並みの高性能機です。メモリも十分過ぎるほど積んでおり、しかも余計なソフトはまったく入れていないためか、動作は極めて快適です。私はインターネットエクスプローラーを立ち上げました。
ホームページが会議システムのログイン画面に設定されており、IDとパスワードを聞いてきます。ひょっとしてPCに記憶されており、自動でログインできるのかと思ったら、やはりそんな甘いセキュリティではなく、1回ごとに入力が必要なようでした。
私は試しに妻の名前や誕生日を組み合わせてログインを試みますが、もちろんそのような安易な設定にはなっていないようです。
もし私が役員会の会議システムにログイン出来てしまえば、それはそれで事態がややこしくなるのでほっとした気持ちもあります。私はすぐにログイン画面から離れ、ふと思い立ってこのPCで里美とチャットでもしてみようかと、下田に教えられたサイトのURLを打ち込みました。
里美は例によって待機中で、下を向いて本を読んでいます。私がヘッドセットをつけてログインすると里美は顔を上げました。
「こんにちは」
「こんにちは……どうしたの? 東山さん」
里美が目を丸くして私の方を見ています。
「今日は家族がみんないないから、里美に会いに来たんだ」
「それはいいけど……そうじゃなくて、画面や音声がすごくクリアだよ。いつもと全然違う」
「えっ? そんなに違うかい?」
「うん、まるでビデオを観ているみたい。大画面にしてもほとんどボケないよ」
私は今使っているPCやWEBカメラ、ヘッドセットが子供が通っている高校の備品で、PTAのオンライン役員会の端末だということを説明します。
「ふーん。そのために光ファイバーにまで加入したの。随分過剰投資だね」
「男の役員連中が随分寄付をしたみたいだよ」
「なんでそんなことをするの?」
「なんでって……」
里美に聞かれて私は答えに詰まりました。
「PTAのオンライン役員会なんて、このライブチャット程度の品質で十分だと思うんだけど。どうしてこんな綺麗な画面や音声が必要なんだろう。何かそれを使って観てみたいものでもあるの?」
私はふと、ノーブラでPCに向かっていた妻の姿を思い出しました。
「東山さんも役員になっているの?」
「いや……うちは家内がなっている」
「ふーん」
里美は何ごとか考え込んでいます。
「東山さん、WEBカメラとPCの型番を教えてくれる?」
「えーと……」
私はメーカーの型番を読み上げます。
「それは相当ハイスペックね。無駄に良い物を使っているといってもいいわ」
「そうなのか?」
「私も実は光ファイバーを入れているし、PCのスペックも相当いいのよ。こちらのPCの性能が悪ければ画質も落ちちゃうから。それにしてもまるで業務用のストリーミングビデオを観ているようだわ」
里美の言葉に私は黙り込みます。
「カメラとPCだけがいいんじゃないわ。そのシステム、導入が決まったのはまだ東山さんの息子さんの高校と、東山さんの会社だけって言ったよね? それならたぶんストリーミングサーバや回線の容量も十分余裕があるわね。道理で絵と音の品質がいいはずだわ。どうしてPTAのオンライン役員会なんかに、そんな高品質が必要なのかしら」
「さあ……」
私は里美がどうしてそんなに引っかかっているか分からず、首を傾げるばかりです。
「東山さん、大丈夫?」
「大丈夫って、どういう意味だ?」
「奥さん、やっかいなことに巻き込まれているんじゃない?」
里美は真剣な眼差しを私に向けました。

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