「やっかいなことって……どうしてそんなふうに思うんだ?」
「東山さん、私と話しをしていてどんな風に感じる?」
「どうって……」
「生身の私と向かい合って話すことを想像してみて。その場合とどんな風に違う?」
「それは……」
里美の言っていることが徐々に分かり初めてきました。
「そうだな。実際に会って話すよりは大胆な気分になるな」
「そうでしょう?」
里美は頷きます。
「チャットレディなんて仕事をしているとよく分かるの。普段は真面目な人でも、ネットの世界だとびっくりするほど大胆な行動を取るのよ」
「そう言われれば……」
わたし自身も思い当たる節がありますし、里美を紹介してくれた下田にしても日頃は仕事一途と言って良い男です。その下田がライブチャットではいきなり里美を脱がせにかかるというのです。
「奥さん、出かけてるって言ったよね。どこへ行っているの」
「それは……」
私は段々不安になってきました。里美の話から妻の身に何かとんでもないことが起きているような気がしてきたのです。私は妻から聞かされたことを里美に告げます。
「役員会の旅行だって? どこの宿に行ってるか聞いた?」
「ああ、メモが残っている」
「教えて」
「えーと、西伊豆のD旅館となっているな」
「西伊豆のD旅館? なんだか聞いたことあるな……待ってね」
里美が画面の向こうで、素早くネットで検索するのが見えました。
「あー、東山さん、そこ、やばいよ!」
「どうして?」
「そこ、ピンクコンパニオンで有名な旅館だよ」
「ピンクコンパニオン? なんだ、それは」
「知らないの? 東山さんって真面目だね。男同士で旅館で宴会するときは、みんな呼ぶんだと思ってた」
里美は私にピンクコンパニオンの説明をはじめます。男たちの宴会の席で要するに、野球拳、ツイスターゲーム、王様ゲームなどのお色気のゲームも出来、基本的に下着姿やコスプレで宴会を盛り上げるコンパニオンのことのことです。
問題なのはピンクコンパニオンには延長の際の裏メニューというのがつきもので、その際は混浴、フェラチオ、本番などまるでソープ嬢のようなサービスが行われるらしいのです。
「随分詳しいね。里美はピンクコンパニオンをやっていたの?」
「馬鹿ね。そんなことやるわけないじゃない。でも、友達が何度かやったことあるって。みんなお酒が入っているから、ひどいときはもう乱交パーティみたいらしいよ」
「そうなのか?」
私は会長の犬山の脂ぎった顔を思い出し、背筋が寒くなってきました。あの役員の男たちは宿でそんな破廉恥な宴会を企画していたのでしょうか。そして、それには妻も参加させられているのでしょうか。
無理やり野球拳や王様ゲームをさせられている妻の姿を想像した私は、怒りのあまり頭に血が上ってきました。
「宴会は6時頃から始まって、だいたいお酒が入った30分から1時間でコンパニオンを呼ぶらしいの。それから普通は90分から120分が既定のコースで、ここで王様ゲームやら野球拳があって、女の子はたいてい裸になっちゃうわね。その後延長があれば本番に突入しているはずだわ」
時計を見ると既に午後10時を過ぎています。
「この時間だと、ピンクコンパニオンを呼んでいたとしたら、確実に延長に入っているわね……」
「しかし……PTAの役員会の旅行だぞ。ピンクコンパニオンなんか呼ぶかな……」
「呼ばないんだったらそんな旅館に泊まる必要ないじゃない。他の宴会ではみんな呼んでいるのよ」
私はやはりまさかという思いがあり、里美の言うことをにわかに信じることが出来ません。
「東山さん、PTAの役員っていったって、中小企業のオヤジや開業医でしょ? そんな連中の行動パターンはわかりきっているわよ。下手すると東山さんの奥さん、ピンクコンパニオン代わりにされて、男たちと一緒に混浴させられたり、それだけじゃなく本番の相手をさせられているかも知れないわよ」
「そんな……」
こうしてはいられないと私は思いました。
「里美、ちょっと落ちる」
私はそう言ってログオフすると、妻の携帯に電話をかけます。しかし流れてきたのは「おかけになった電話は電源が入っていないか電波が届かないところに……」という聞き慣れたメッセージでした。
「くそっ」
私はネットで西伊豆のD旅館を検索します。たちまち何十件もヒットし、上位の記事のほとんどはピンクコンパニオンがらみのものでした。
(こんなところに絵梨子を連れて行きやがって……あいつら、どういうつもりだ)
私は旅館の電話番号を探し当て、電話します。何度かコールすると仲居さんらしい女性の声がしました。
(はい、D旅館です)
「東山と申しますが、妻が今日そちらにお世話になっていると思うのですが、至急呼んでいただけますか?」
(東山様ですか? 奥様のお名前はなんとおっしゃいますか?)
「絵梨子です。絵画の絵に果物の梨です」
(お待ち下さい)
仲居さんは宿帳から名前を探しているようです。苛々して待っているとやがて返事がありました。
(そのような方はお泊まりになっていませんが……)
「本当ですか? ちゃんと探してくれましたか?」
(もちろんです)
確かに妻はD旅館と書き残していきました。何かの間違いでしょうか。
「それでは、個人名で犬山、毛塚、橋本、あるいは道岡という男性は泊まっていませんか?」
(お客さまの宿泊の有無に関する照会は、宿泊者ご本人様の同意がないと受けられないのですが。当旅館のプライバシーポリシーというのがございまして……)
「さっきは探してくれたじゃない」
(ご家族の場合は例外です)
「どうしても駄目なの?」
(申し訳ありません)
何度か押し問答をしましたが、結局他の役員が泊まっているかどうかは教えてくれませんでした。私は再びログインし、里美を呼び出します。
「どうだった?」
「駄目だ、連絡がつかない」
「それは困ったわね……何か方法がないかな」
2人でしばらく頭をひねったのですが、すぐには良い知恵が浮かびません。
9.不安(1)

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