「とにかく……本当にD旅館に泊まっていて、ピンクコンパニオンを呼んでいるのなら、もうやることはやっちゃっているわよ」
「そんな……」
私は激しい焦燥に駆られます。
「東山さんの奥さんにまで無茶なことはしていないと信じるしかないよね……それより、その豪勢なテレビ会議システムが気になるんだけど。どうにかしてログインできないの?」
「IDとパスワードがわからなきゃ、無理だよ」
「奥さん、教えてくれない……よね……」
「教えてもらったとしても、使うのは昼間だろうからな。現場を押さえない限りはムリだ」
「でも、来週には同じシステムが東山さんの会社に入るんでしょ? そこからログインできるんじゃない?」
「そうか……」
重要なことを忘れていました。テレビ会議システムは基本的にウェブベースで作られているため、私の会社のシステムからでも、IDとパスワードさえ分かれば入れるはずです。
「あとはIDとパスワードが分かればな……」
「下田さんは、業務用のシステムとこのライブチャットのシステムは共通のモジュール(部品)を使っていると言ってたよ」
「あいつめ……ライブチャットの使いまわしを売り込んできたか」
「下田さんがライブチャットのIDとパスをくれるとき、何か言っていなかった?」
「うーん、確か……」
私は下田との会話を思い出します。
「そういえば1ヶ月の期間限定だけど、プライベートエリアまで入れるって言ってたな」
「東山さん、それ下田さんの会社の管理者権限のあるIDだよ」
「本当か? そんなものを他社の人間に預けるか?」
私は驚いて聞き返します。
「だって、普通のIDじゃプライベートエリアには入れないよ。というか、プライベートエリアでは女の子ごとにそれぞれ別のIDが発行されるんだから。東山さんのIDなら、ツーショットのチャットは覗き放題のはずだよ。ちょっとやってみて」
私はいったん里美の部屋からログオフし、他の女の子でツーショット中のところへログインを試みます。何人か試してみていずれもあっさり入ることが出来たので驚きました。
「入れたよ。下田め、なんていい加減なやつだ」
「やっぱりね。1ヶ月の期間限定ということは、1ヶ月ごとに管理者権限のIDを変更するっていうことじゃない。東山さん、そのIDはいつもらっの?」
「里美の部屋にログインした日だから、先週の金曜日だ」
「6月2日だね? すると有効期限は1カ月後の7月2日。今日は10日だからあと3週間ちょっとでオヤジたちの尻尾を掴まないと」
しかし、それはそれとして私は今この時に妻の身に迫っている危機を何とか出来ないかと考えていました。
「里美、今あいつらがやっていることを止めさせる方法はないか?」
「うーん」
里美は何ごとか考えていましたが、やがて顔を上げました。
「これをやったから絶対大丈夫とはいえないけれど……何もやらないよりはましかな。さっきの旅館の電話番号を教えて」
「わかった」
私はメモしていた番号を里美に伝えます。里美はそれを携帯に打ち込み、通話ボタンを押しました。
「もしもし……静岡県警生活安全刑事課です。さきほどそちらの旅館で売春行為が行われているとの匿名の通報がありました……そうですか……でも念のために伺います……それではよろしく」
里美はそう言うと電話を切ります。
「今ので信じるかな?」
「信じないでしょうね……でも、コンパニオンたちはこれで引き上げると思うわ」
「どうして?」
「今の電話が県警からだとは思わないだろうけど、同業者からの嫌がらせで、無視をすると次は本当に県警に通報するかもしれないという程度には信じるとは思うわ」
「なるほど」
里美の頭の回転のよさと実行力に感心しました。
「だけど、コンパニオンが引き上げたから男たちの頭は冷えるだろうけど、欲求不満が東山さんの奥さんにぶつけられるという危険もあるわ」
「そうなのか?」
「興奮は冷めるから、なかにはいくぶん冷静な判断をする人が出てくることを期待するしかないわね。とにかくこれ以上思い悩んでもしょうがないわ」
里美が私を宥めるようにそう言いました。
いずれにしても今から西伊豆に行って妻を助けるというのは不可能です。連絡が取れない以上、今は打つ手がありません。私は里美に礼を言うといったんログオフし、念のためにブラウザの履歴を消し、ホームページに戻ります。
私は下田からもらったIDとパスワードで、会議システムにログインできるかどうか試そうとしましたが、ひょっとして入室記録が残るかもしれないのでやめました。来週私の会社にシステムが導入されてから試すしかありません。
その夜は妻のことが心配で、また犬山達に対する怒りでなかなか眠ることが出来ませんでした。彼らが妻を弄んでいるのならなんとかして救い出し、復讐をしなければ気が治まりません。そのためにはまず、なんとしても証拠を掴まなければと私は思いました。
翌日、結局ほとんど眠れなかった私は朝が来るのを待ちきれないように私は妻の携帯に電話をしました。何度かコールの音の後、妻が出ました。
(はい……)
「絵梨子、俺だ」
(どうしたの……こんなに早く)
「いいからすぐに宿をチェックアウトして帰って来い」
(どうして……まだ6時よ。みんなまだ寝ているわ)
「どこの部屋に寝ている? みんなで雑魚寝か?」
(馬鹿なことを言わないで。部屋にいるのは私と藤村さんだけよ。朝食の予定は8時で、10時にはチェックアウトして、お昼過ぎには帰ります)
「昨日は電話が繋がらなかったぞ。いったいどこにいた? それとも電源を切っていたのか?」
(何を言っているの? あなた。この宿は場所によって電波が入りにくいようなの。ごめんなさい……もう少し寝かせて。昨日は遅かったの)
そういうと妻は電話を切りました。
「おい、絵梨子、おい……」
再び電話を鳴らしたのですが、どうも妻は携帯の電源を切ってしまったようです。私は考え込みました。
電話の妻の声は眠そうにはしていましたが、特にいつもと変わったところはないような気がしました。
(俺の思い違いで、妻には何もなかったのだろうか……)
あれこれ思い悩んでいるうちに、私は疲れのせいかいつの間にか眠り込んでしまい、目が醒めたらお昼近くになっていました。
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