私は妻のPCを立ち上げ、里美に会いに行きます。
「おはよう。東山さん。あまり眠れなかったみたいね」
里美はいつものように本を読んでいたようです。
「里美、実は明け方に絵梨子に電話したんだが」
私はそのときの妻の様子を里美に話します。
「絵梨子はいつもと変わらない風だった。実は何もなかったんじゃないだろうか」
「そんなはずないじゃない。東山さんって、本当に善意の人ね」
里美は呆れたような声を出します。
「奥さんも昨夜何があったのか、東山さんにいえない理由があるんでしょう」
「どうして俺に知られたくないんだ。本当に困っているのなら俺に助けを求めに来るはずじゃないのか?」
「助けにって……西伊豆までどうやって助けに行くの?」
「どういう意味だ?」
「夕べからの状況から考えて、奥さんの携帯は男たちが管理しているわよ。今朝の東山さんとの会話も隣で聞かれていたに違いないわ」
「あ……」
私は自分の迂闊さが腹立たしくなりました。
「東山さんが何か感づいていると覚られたら、相手は尻尾を出してこなくなるかもしれないわよ」
「すまん」
「私に謝らなくてもいいわよ。でも、この様子じゃ、ちゃんと作戦を立てて臨んだ方が良い見たいね」
里美はそう言うと溜息をつきました。
「私の勘だと、連中は常習犯よ。一筋縄じゃ行かないわ」
「そうなのか?」
「4人が――それともある時はもっと多くの人間がグルになって、女性に毒牙を向けているに違いないわ。たぶん学生のころから同じようなことを繰り返していたんじゃないのかしら」
「……」
「PTAの会合といいながら、女の役員は交互に呼び出す。たぶんお互いが相手の人質のような状態になっているのね。それでご主人にも何も言えなくなってしまっている」
「連中にも女房はいるだろうに、よくバレないもんだな」
「4人の役員のうち3人は、中小企業の社長や開業医でしょう? 自分の時間は多少融通はつけられるわ。それとも……」
「それとも、なんだ?」
「奥さんも一枚噛んでいるのかもしれない」
「何だって?」
私は驚いて聞き返します。
「これはまだ私にも確信はないわ。ただ、これだけ大掛かりなことをするからには、今まで色々な遊びをしてきて、少々の刺激では満足しなくなっているということが考えられる。その過程を連中の奥さんたちがまったく気づいていないというのも不自然な気がするの」
「ひょっとして……」
下田もグルなんだろうか、とたずねました。
「それはないと思うわ」
里美が首を振ります。
「下田さんはいい加減なところはあるけれど、基本的には有能なビジネスマンだわ。こんな危ないことにかかわるとは思えない。それに彼らにとってお誂え向きと言って良いシステムを会社のお金で開発するなんて話が出来過ぎているわ」
「システムと言えば……連中はこの会議システムで何をする気だ」
「そんなこと分かっているわよ。彼ら専用のライブチャットよ」
「何だって?」
「ライブチャットというよりは、双方向性のあるポルノ番組と言った方がいいわね。高画質と高音質のシステムを使ってビデオ並みの映像を送らせる。出演者は視聴者の要求にしたがってさまざまな恥ずかしい行為をさせられる。最初の出演者は東山さんの奥さんと、藤村さんというもうひとりの女性役員、ってわけ」
私は怒りに頭に血が上るのを感じました。
「システムにはセキュリティがかかっているから、送られた映像や音声も記録出来ない。IDとパスワードは厳重に管理されているため外部からログインすることは出来ない。会員が安心して使える最適の仕組みだわ」
「何てことだ」
私は妻が落とされた罠の巧妙さに言葉を失います。
「奥さんの写真を撮ってネットに掲載する、なんて脅すのは効果はあるだろうけど、実際に脅迫行為に及んだらIPアドレスから追跡されて、個人の特定が出来ちゃうわ。けれどこのシステムだとウェブを使っているとはいってもクローズされているからその心配はない。信頼出来る人間だけを増やしていけばいいわけよ。このままだとPTAの役員会の次はラグビー部のOB会に、同じシステムが導入されるかもしれないわよ」
私はB高校のラグビー部出身者の男達がPCの画面で妻の痴態に見入っている姿を想像して慄然としました。
「下田め、くだらない物を作りやがって」
「まあ、下田さんもまさかこんなことに利用されるとは思ってなかったんでしょうけど」
「現にやつの会社でライブチャットをやっているじゃないか。絵梨子をAV女優扱いするなんて、そんなこと許せるかっ。下田にねじ込んでやる」
「駄目よ」
里美が慌てて私を止めます。
「そんなことをしたらIDを停止されちゃうわよ。東山さんが戦う相手は下田さんじゃなくて、PTAのオヤジどもでしょう? ちゃんと証拠がとれるまで我慢するのよ。とにかく来週、東山さんの会社に会議システムが入ったらすぐに連絡して」
「わかった」
私は里美に説得されてようやく頷きます。
「だけど、里美はどうしてこんなに親切にしてくれるんだ?」
「女の敵が許せないからよ」
里美はそう言うとにっこり笑います。
「……なんてね、本当はこの騒ぎ、興味があるのよ。まるで探偵をやっているみたい。ゾクゾクするわ」
「そうか」
里美のあっけらかんとした言葉に、私はやや言葉を失います。
「だけど、女の敵が許せない、っていうのも嘘じゃないのよ。エロオヤジどもをガツンと言わせてやるわ。色々私なりに用意して置くから、くれぐれも短気を起こさないでね」
忙しくなったわ、といいながら里美はログオフしました。
妻が帰ってきたのは結局その日の夕方でした。疲れきった感じの妻を、副会長の1人の橋本が送ってきました。橋本は妻のパート先であるA銀行に勤めており、以前は妻の直属の上司でしたが、現在はどこかの店の支店長になっているということです。
「いつも奥様には大変お世話になっております。ご主人にはいつもPTA活動にご理解を頂きましてありがとうございます」
いかにも銀行員らしい謹厳実直そうな橋本はもっともらしく挨拶します。しかし以前妻から、この橋本という男は実は相当のむっつり助平で、特に酒を飲むとガラリと人が変わり、女子行員に対してしばしばセクハラめいた行為に及ぶことがあると聞いたことがあります。
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