そう考えた途端、画面の下部にメッセージが現れます。
(東山さんの会社の社長さん、面白いね)
「里美」
私は思わず小さな声を上げます。私の顔がいきなり画面で大きくなり、社長が不審げにたずねます。
「どうした? 専務」
「い、いえ。何でもありません」
「サトミって誰だ? 飲み屋の女のことでも考えていたんじゃないか」
社長はそう言って笑うと、急に顔を引き締めます。
「そう言えば専務は最近表情が冴えないが、何か心配事でもあるのか?」
「い、いえ。大丈夫です」
「それならいいが……当社の営業は専務の肩にかかっている。心配事があるんなら何でも言ってくれ」
「わかりました……ありがとうございます」
私は社長にまで心配をかけていることを知り、申し訳なく思いました。
「それにしてもこのシステムは便利だ、専務の顔色がいいか悪いかまで分かる。会議以外にも十分使えるな」
社長がそう言うと開発部長と管理部長が笑い、会議はお開きになりました。私はライブチャットの里美の部屋にログインします。
「あまり驚かすなよ」
「ごめん、ごめん」
里美はおかしそうにくすくす笑っています。
「例の下田さんからのIDで、会議は全部見ることができたよ。こちらから画面を切り替えたり、ズームしたりしてみたけれどまるで問題なし」
「それじゃあPTAのオンライン役員会にも気づかれないで入れるということか」
「アクセスログまでは消せないから、そこまで調べられちゃうとばれるかもしれないね」
「そうか」
私は腕組みして考え込みます。
「心配ばかりしてもしょうがないわよ。いざとなったら下田さんを脅して、ログを改竄させるしかないわ。彼にも責任があるんだから」
里美の言葉に私は勇気づけられます。
「次の役員会はいつになりそう?」
「絵梨子の今週のパートの出勤日は月、水、金だから明日の火曜日と木曜日か……」
「何時に始まるか分からないのね?」
「ああ、息子も俺も帰りが遅いしな。ただ、連中も昼間は仕事がある訳だから、5時から7時あたり、それとももう少し遅めじゃないかと思うんだが」
「犬山と毛塚は経営者だから時間の融通はいくらでもききそうだけれど、問題は道岡と橋本か。道岡の診療時間が分かれば大体推測がつくかも」
里美がまたネットで検索します。
「9時から12時と、15時から20時になっているわ。整形外科クリニックなら会社帰りのOLも重要なお客だからね」
「すると12時から15時の間、銀行支店長の橋本のスケジュールも考えると、昼休みの時間帯が有力だな」
「道岡のクリニックだけど、医者は二人いるわね。道岡竜太と栄子。夫婦で美容整形外科医か、随分稼いでいるでしょうね。この奥さんも整形かしら」
そう言うと里美はくすりと笑います。
私は明日の12時に里美とネット上で待ち合わせることにしました。念のため里美はその前からシステムにログインし、会議が始まれば私にすかさずメッセンジャーを使って連絡することになっています。
帰宅すると妻はいつものように笑顔で私を出迎えます。しかし私にはそれがどことなく疲れているようにも思えます。42歳になった妻ですが私にとってはまだまだ女として魅力的です。いや、むしろ最近になってベッドの中でも奔放さを見せるようになった妻を私は以前よりもなお愛しく感じるようになっています。
その妻を私から奪おうとしている輩がいるのです。すべてが私の妄想であってくれればよいとさえ思うのですが、状況は限りない黒であるように思います。いつもと変わらぬ夕食の風景、食後の団欒、私は急にそれらがなんとも頼りないもののように思えてきました。
「家庭の平和は妻の笑顔」という言葉があります。妻が幸福でなければ家庭の平和はありえないというものです。私はその言葉の持つ意味をしみじみと実感していました。男として、一家の主としてわが家の平和を守るためには、妻を不幸にするものには敢然と立ち向かわなければなりません。
次の日、私は早めに会社に行くと、落ち着かない気持ちを無理やり宥めながら仕事を片付けました。私生活の都合で仕事を停滞させ、会社に迷惑をかける訳には行きません。
仕事に没頭していた私は里美からのメッセージに我に返りました。時計は11時半を指しています。
「奥さんがログインしたよ」
「なんだって?」
私はパワーポイントの企画書を閉じ、役員会の会議システムにログインします。いきなり妻の姿がディスプレイ一面に映し出され、私は驚きました。
妻はパールホワイトのシャツブラウス姿で、奇麗に化粧を施しています。髪は今朝私が見た状態よりも強めにカールがかかっています。美容院に行くほどの時間はなかったと思いますので、一生懸命自分で整えたのでしょうか。
PCの前の椅子に座り、ディスプレイに顔を向けている妻の頬は上気し、瞳は妖しい潤みを見せています。視線は落ち着きがなくふらふらしている様子がいつもの妻らしくありません。
「どうしたんだろう……絵梨子の様子がおかしい」
私はメッセンジャーにそう打ち込みます。
現在私と里美が役員会の会議システムに入っている訳ですが、侵入が覚られないようにこちらからの音声は切っています。したがって私と里美の意志の疎通は、音声ではなくてメッセンジャーの文字入力で行っています。
「奥さん、オナニーしてるんじゃない?」
「なんだって?」
私は文字情報で意思の交換をしているのにもかかわらず、思わず聞き返します。
妻の両手はPCのテーブルに置かれており、そんなことが出来るはずがありません。
「東山さん、じっと耳をすましてみてよ」
私は里美に言われた通り、ヘッドセット越しの音に耳を傾けます。すると低く小さなモーター音のようなものが聞こえて来ました。
「これ、ローターの音だよ」
「ローター?」
「もう、しゃべってんじゃないんだから、一々聞き返さないでよ。奥さん、ローターをあててオナニーしているんじゃない?」
「馬鹿な」
そんなものは家の中にはありません。いや、私は妻にいわゆる大人の玩具と呼ばれるものを使ったことがありません。
それでも私は興味はありますから、妻に冗談交じりにローターやバイブの使用をほのめかしたことはあります。しかしそんな時はいつも妻は顔色を変えて、そんな変態的なことは嫌と拒絶していたのでした。
しかしそう言われてみると、妻の落ち着かない様子はなぜなのかが頷けます。私は混乱し頭の中がかっと熱くなるような気がしました。
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