「わ、わかりました……そのように致しますわ」
しのぶは力無く返事をする。
「それなら支度を急ぎなさい。あまり時間はないわよ」
香織は一方的に言い残すと電話を切った。しのぶはしばらく受話器をもったまま呆然としていたが、やがて夢遊病者のようにふらふらと浴室の方に向かうのだった。
自宅を出たしのぶは人目を避けるようにスナック「かおり」へと急ぐ。身につけているのはレースをあしらったシャツブラウスと、もう10年近くも足を通していないクリーム色のミニスカートである。
いくら若く見えるとはいえ、37歳の成熟した肉体を包む服装としては適当ではない。熟女らしくむっと盛り上がったしのぶの尻が薄手のスカートをはちきれんばかりに盛り上げていた。
駅前にある「かおり」までは、しのぶの家から徒歩で20分弱の距離である。普段はバスを使うことが多いのだが、今日ばかりは知り合いの誰が乗り合わせるか分からないバスに乗る気にはならなかった。
それでもしのぶがバス通りに沿って歩いたのは、普段昼間はたまに通るタクシーを運良く拾えないかという淡い期待を抱いてのことだった。
しかし、しのぶの期待に反してタクシーは見事なまでに一台も通らない。ミニスカートの下の素っ裸の尻がいかにも頼りなく、しのぶの歩き方はどうしても内股気味に不自然になる。
おまけに悪いことに、つい先ほどまでからりと晴れていた空が急に怪しげな雲に覆われ、風が出てきたのである。しのぶが身に着けているスカートは裾がフレアになったやや時代遅れのデザインであり、突風でも吹けば簡単にまくれかねない。
(ああ……パンティを穿いていないことをもし誰かに知られたらどうしたらいいの)
しのぶは伏し目がちになり、片手でミニスカートの裾を必死で押さえながら内股で歩き続ける。
「加藤さん」
いきなり名前を呼ばれ、しのぶは驚いて顔を上げた。
「どうしたの、ぼんやりして。どこかへお出かけ?」
声をかけてきたのは健一の同級生である小椋里佳子の母親、裕子だった。裕子はジョギングの途中のようで、スポーツウェア姿である。カジュアルな服装だがウェアもシューズも一流のブランド物である。
汗止めのヘアバンドを巻いた裕子はすっぴんだが、40過ぎという年齢が信じられないほど艶やかな肌をしている。大学で国文学の講師をしている裕子の瞳は知性に満ちており、トレーニングで鍛えられた肉体とあいまって今のしのぶにはまぶしいほど溌剌と輝いて見えた。
裕子は知性だけでなく、積極性と行動力もあることから常にリーダー的な立場にあり、現在はPTAの会長をしている。取り巻きの友人も多いが、どちらかというと内向的なしのぶにも良く声をかけ、しのぶにとってこのニュータウンの中であまり多くない友人の一人といえる。
「え、ええ……ちょっと」
しのぶは裕子のきらきらと光る大きな目で見つめられ、どぎまぎと目をそらす。小首を傾げた裕子はしのぶの服装に目をやる。
「そのスカート、すごく素敵ね。私なんかじゃもうとても似合わないわ」
「えっ」
しのぶは慌てて自分の下半身に目を落す。風が一段と強くなってきたようで、手で押さえたスカートの裾からむっちりとした太腿が露出した様子は我ながら恥ずかしく、しのぶの頬はかっと熱くなる。
そのとき、しのぶのバッグの中の携帯電話が音を立てた。
「あ……」
あわててしのぶはバッグを開け、電話を取り出そうとする。その時突風が吹き、しのぶのスカートをまくりあげた。
「きゃっ」
しのぶは慌てて両手でスカートを押さえる。視線の隅に映った裕子の表情には明らかに驚きの色があった。狼狽したしのぶの手から携帯電話がこぼれ落ちる。
「ご、ごめんなさい」
意味のない声をあげたしのぶは電話を拾い上げようとしゃがみこむ。そこに再び突風が吹き、しのぶの裸の尻が裕子の目の前にさらけ出される。
「嫌っ」
しのぶは再びスカートを手で抑える。背後で裕子が息を呑む気配がする。
(……み、見られたわ)
頭の中が真っ白になったしのぶは裕子に「し、失礼します」と頭を下げると、その場を逃げるように立ち去った。
呆然としのぶを見送った小椋裕子は、たった今目にしたものが信じられなかった。
(加藤さん……どうしてあんな……)
裕子が知っているしのぶはどちらかといえばおとなしく品のよい主婦であり、普段の服装も地味で、話していても教養を感じさせる女性である。
それが10代の娘が着るようなミニスカート姿だったということだけでも驚いたが、風に捲り上げられたスカートの下は、確かに素っ裸だったのだ。
裕子は今年で42歳になるが、外人のようなくっきりした顔立ちと170センチを超える長身は、学生の頃モデルのバイトをしていたほどの容姿端麗さの名残を見せており、今でも30代前半にしか見えない。性格も勝気で正義感が強く、物事をはっきりいう方である。
現在は大学で国文学の講師をしている裕子は反面、見かけからは想像できないほどの優しさも持っており、同じく他人に優しいしのぶとは日頃から仲が良かった。
慎み深いしのぶを妹のように思っていた裕子は、しのぶのあまりの変貌振りに首をひねる。
「何か理由があるに違いないわ」
裕子はそうつぶやくと額の汗をタオルで拭い、再びリズミカルに走り出した。
しのぶは少しでも早くその場を立ち去りたい一心で、後ろを振り向かずに早足で歩きながら、拾い上げた携帯電話を耳に当てる。
(誰と話をしていたのよ)
「えっ」
受話器から流れてきた声は、香織のものだった。しのぶは驚いて左右を見回す。
(どこを見ているの。前よ、前)
しのぶの前方100メートルほどの場所、車道の脇に赤い乗用車が停車していた。昨日しのぶを家まで送っていった香織の車だった。
(ノーパンのしのぶ夫人が、どんな顔をして歩いているのか楽しみで、黒田さんと一緒に見に来たのよ。スカートがめくれてお尻が丸出しになった決定的瞬間もビデオでばっちり撮ってあげたわ。後で見せてあげるわね)
「な、なんてこと……」
香織のあまりの残酷さに、しのぶは唇を震わせる。
(野外露出もなかなか気分の良いものでしょ。そのうちにもっと過激な格好をさせてあげるから、楽しみにしていなさい)
「そ、そんな……」
(誰と話していたのか答えなさい)
「……」
(私の奴隷になると誓ったことを忘れたの。逆らったら今夜はノーパンのまま店に出させるわよ)
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