香織はごく自然な流れで、小川の空いたグラスにビールを注ぐ。
彩香、すなわち加藤しのぶの坐ったボックス席では、二人の男達がしのぶの腰のあたりに手を回し、何ごとか囁いている。しのぶは時々嫌々をするように首を振るが、やがて頬を染めて根負けしたように頷くのだ。
そんなしのぶの様子をちらちらと横目で窺いながら、小川は喉を鳴らしてビールを3分の2ほど一気に飲み干す。香織はそれをしばらく眺めていたが、やがて店の扉が開き3、4人の男達が入ってくると笑みを浮かべて声をあげた。
「いらっしゃい、お久しぶりね」
「また面白いものが見られるんだって? 香織ママ」
「脇坂さんはそんなときしか来ないんだから。私には全然興味がないみたいね」
「いや、そうじゃないといいたいんだが……まあ、そういわれてもしょうがないな」
「全然フォローになっていないわね」
脇坂と呼ばれた不健康そうに太った中年男が頭を掻き、香織と他の男達がどっと笑い声を上げる。
「ほう、あれが今回のスターだな」
脇坂がボックスの彩香のほうを見て呟く。
「人妻かい?」
香織はにっこり笑って頷く。
「えらくいい女じゃないか。さすがは黒沢コンビだな」
「こりゃあ今回もたっぷり楽しめそうだ」
男達は淫靡な笑みを浮かべ、香織が注いだビールを飲みながら話し合う。
「さあ、揃ったようだからそろそろ始めましょうか」
香織は立ち上がり「準備中」の札を持ってカウンターから出ると、扉の表に札をかけた。
「本当はここからは貸切なんだけど……」
フロアに戻った香織は、異様な成り行きに戸惑ったような表情を浮かべている小川に向かってそう言った。
「そ、そうかい。それじゃあ……」
席を立とうとする小川を、香織はさえぎる。
「でも……いてもいいわよ。今日は大サービス。もちろんつまらなかったら途中で帰るのは自由よ」
「ああ……」
小川は上げかけた腰をもう一度おろす。
「その代わり……」
香織は妖しい微笑を浮かべて、小川に顔を寄せる。
「これから起こることは他言は無用よ。約束できる?」
「あ、ああ……」
小川は引き込まれたように頷く。
「どうしたんだい、ママ。随分と寛大じゃないか」
「新規顧客獲得も大事なのよ」
脇坂のからかいをかわすと、香織は表情を引き締めてボックス席の彩香に向かって「始めなさい、彩香」と鋭い声をかけた。
しのぶは弾かれたように立ち上がると、フロアの中央に向かう。そこは一段高いカラオケ用のステージになっている。香織がカウンターの中でライトの光量を調整すると、サイドが完全にオープンのドレスを着たしのぶの姿がステージの上でくっきりと浮き上がった。
「は、はじめまして……ようこそいらっしゃいました」
煌々とライトに照らされて、しのぶが満員の客に向かって挨拶を始める。
「あ、彩香と申します。年齢は37歳。人妻です」
「ただの人妻じゃないだろ」
ボックス席に座っていた黒田が野次を飛ばすと、しのぶはぽっと頬を染めて言い直す。
「は……はい。おっしゃる通り、ただの人妻ではありません。彩香は露出大好きで淫乱な人妻です……」
カウンターの脇坂達は手を叩いて喚声を上げる。しのぶの頬がぽっと赤く染まるのを、小川は呆然とした顔つきで眺めている。
「自己紹介を続けなさい」
香織の声にしのぶは屈辱的な挨拶を続ける。
「夫は43歳の会社員……中学校に通う3年生の男の子と1年生の女の子がおります」
「どこの中学だい」
今度は黒田と同じボックスの沢木が口をはさむ。黒田と沢木はこの奇妙なショーのサクラを演じているのだ。
しのぶはしばらくためらっていたが、やがて「東中学です」と小声で告げる。
「東中だって?」
脇坂が驚いたような声を上げた。
「うちの息子もあそこの1年だ。PTAの中にこんな別嬪さんがいたとは気づかなかったぜ」
しのぶは羞恥に頬をますます赤く染めてうなだれる。
香織に泣きすがるように頼んでようやく自己紹介の際に本名を明かすことだけは許してもらったが、子供の学校名は明かすように強制された。その結果しのぶが恐れていたことが起こったのだ。
大きなニュータウンとはいってもしょせん陸の孤島とまで揶揄される一種の閉鎖社会である。繁華街らしい繁華街がある訳でもなし、飲食店の対象顧客は当然のことながら地元住民に限定される。ましてその中でも数少ないスナックである「かおり」ではひょんなことで知り合いに出会う危険性は極めて高いのだ。
「あら、脇坂さんの息子さんと彩香の娘が同じ学年なんて、世間は狭いものね」
香織がわざとらしく口に手を当ててケラケラと笑う。
脇坂はしのぶが羞恥にうつむいて肩を小刻みに震わせる様子を楽しげに見つめる。
「子供の学校には運動会の時くらいしか行かないが、女子中学生の太腿をビデオで撮るのに忙しくて、母親まで目が行き届かなかったよ」
脇坂はそういって店内の客を笑わせる。
「そうそう、東中の女生徒と言えば1年と3年にそこらのアイドルなんて目じゃないほどのとびきりの美形がいるんだ、名前は加藤香奈と小椋里佳子と言ってね……」
しのぶは脇坂の言葉にはっとして顔を上げる。
しのぶを息子が通う学校の父兄と知りながら卑猥な目付きを向けるこの下品な中年男が、娘の香奈や、しのぶの親友である小椋裕子の娘、里佳子にも淫らな関心を寄せていたとは。
(ああ、もし私が香奈の母親と分かったらどんなことになるのか……まさか香奈まで……)
脇坂の言葉に、カウンターの小川と名乗った男の表情が一瞬険しくなったが、香織はそ知らぬ振りをして、暗い予感に脅え裸身を小刻みに震わせるしのぶに冷酷に命じる。
「さあ、ぐずぐずしているんじゃないわよ。そろそろショーを始めるわよ」
いつの間にかカウンターに入っていた沢木がうなずき、CDコンポを操作するとスピーカーからあやしげな音楽が大音量で流れ出す。
青江美奈の「伊勢佐木町ブルース」である。
しのぶは電流に触れたようにぴんと爪先だちになると観客にさっと背後を見せ、91センチのヒップをくねくね揺らせて踊りだす。
前奏に乗ったブルース歌手の有名なため息の箇所に合わせ、しのぶもうっとりとした表情で大きくため息をつく。
第28話 深夜の秘密ショー(2)

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