第66話 小椋家の崩壊(2)

「美少年とはいえ、こっちは男の調教はあまり得意じゃないからな」
沢木は納得したように頷く。
「すると次の獲物は?」
「裕子の長女で女子大生の貴美子、そして、しのぶの娘、香奈――香奈を落とせば父親の達彦は落ちたも同然よ。それで小椋、加藤両家は完全に崩壊。一家そろって街公認の奴隷家族にしてやるわ」
香織はそういうとさも楽しげにクッ、クッと笑うのだった。

小椋貴美子はここ数日なんとなく憂鬱な日々を送っていた。
貴美子の母である裕子と、妹の里佳子の様子がここのところおかしいのである。ずっとふさぎこんでおり、また心ここにあらずといった調子である。電話のベルが鳴ると2人が同時にびくっと身体を震わせる。電話に出ると、ボソボソと家族を気にするような小声で話している。誰かに呼び出されるのか、時々急に出かけることがある。
裕子が携帯をなくしたといって、ずっとそのままにしているのも不思議である。いつもの行動的・外交的な裕子なら翌日にも新しい物を買うところである。
(いったいどうしたのかしら……二人とも)
心配に思った貴美子が問いただしてみても、2人からはあいまいな答えしか返って来ない。
貴美子はこの春に公立の高校を優秀な成績で卒業し、慶応大学の経済学部にストレートで合格していた。受験勉強が終わり、しばらくはのんびり出来るかと思っていた貴美子だが、大学生活は思いのほか忙しく、朝から晩までびっしりと授業の予定が詰まっていた。夜は中学生の頃から続けている空手道場に通っているため、貴美子は朝早く家を出て、夜遅く帰る生活がずっと続いている。このため、なかなか母や妹とゆっくり話す時間がない。
その日も貴美子は午後10時近くA駅に到着し、自宅への道を急いでいた。
(だいぶ遅くなっちゃったわ……)
空手の練習終了後、道場の仲間と喫茶店で話しこみ、ついつい時間を忘れてしまったのである。多くの仲間とは長い付き合いであり、貴美子にとって学生時代の友人以上に腹を割って話せる人たちである。
(今日は少し里佳子と話をしようと思っていたんだけど……この時間からだと難しいかも知れないわ)
自宅への途中、ほんの短い距離だが人家が途絶える場所がある。マンション建設のために取得された広大な土地が、不況のためデベロッパーが倒産し、雑草が伸び放題の空き地となっているのだ。
その空き地の中に10人ほどの高校生らしい集団が集まり、こちらを見ているのに気づいた貴美子は、なんとなく不穏な空気を感じ取って思わず眉をひそめ、無意識のうちに足を速める。
「待ちなよ」
空き地から声がかかり、少年たちのうち2、3人が飛び出すように道に出て、貴美子の前に立ちふさがった。
「俺たちを見てわざとらしく急ぐのは気にいらねえな」
「ちょっとつきあってくれよ、美人のねえちゃん」
いかにも頭の悪そうな、髪を金髪に染めた少年たちが貴美子を取り囲むようにする。
「なんとかいえよ、ねえちゃん」
少年の一人が貴美子の形の良い胸に手を伸ばす。
「やめなさいっ」
貴美子はその手を振り払うが、別の方向から伸びた手が貴美子のジーンズの尻を撫で上げる。
母と妹のことで憂鬱な気分になっていた貴美子は、そのあまりの傍若無人な態度に腹立たしさを感じ、無言で手を伸ばすと少年の間をかき分けて前に出る。
「痛えっ」
貴美子に突き飛ばされるような格好になった少年がおおげさな声を上げる。
「痛えっ、痛えっ。肋骨が折れたぜ」
少年はわざとらしい叫び声を上げながら、地べたを転げ回る。貴美子はあっけにとられてその様子を眺めている。
「瀬尾、大丈夫か」
空き地から大柄なイガグリ頭の少年が現れ、倒れている少年の上にしゃがみこむ。やがて少年は茫然と突っ立っている貴美子を見る。
「おい、そこのネエちゃん。いったいどうしてくれるんだ。ダチが大怪我してしまったじゃねえか」
「そんな……馬鹿なことを言わないで。あれくらいのことで怪我をするはずがないじゃない」
貴美子はあまりの少年たちのわざとらしい演技に呆れたような声を上げる。
言い掛かりをつけたいのならもう少し工夫のしようもあるだろうに、よほど頭が悪いのか、数を頼んでいることで傲慢になっているのか。
(たぶんその両方ね)
貴美子はため息をつくような思いで少年たちを見回す。
「その口に利き方はなんだい。全然反省してないみたいだな。ネエちゃんよ」
リーダー格らしいイガグリ頭の少年が貴美子に向かって唇を突き出すようにする。
「どうすればいいというの?」
貴美子はきっとした瞳を少年に向けながら首をひねる。
(この子、どこかで見たことがあるわ……)
「治療費として有り金全部置いていきな」
「お金を払えば良いのね?」
「一々ムカつく言い方をするんじゃねえよ。それだけじゃなくてケガをした瀬尾に詫びを入れるんだ――そうだな、素っ裸になって踊りでも踊ってもらおうか」
リーダーの声に少年たちはどっと笑い声を上げる。貴美子は少年のまるでやくざのような物言いに驚きながらも、その野卑な笑い顔にふと記憶が蘇る。
「……あなた、佐藤さんの息子さんね。名前は――そう、新也君だったかしら」
新也と呼ばれたリーダー格の少年はやや気圧された表情を貴美子に向ける。
「新也、お前、有名じゃねえか」
「よっ、色男っ」
仲間の少年たちが口々にからかいの声をあげる。
「うるせえっ」
新也は苛々した声で怒鳴りつける。
去年貴美子の母の裕子が自治会副会長の引継ぎを行った佐藤文子の息子、新也である。
3年前に小椋家がここAニュータウンに越して来た時、貴美子は既に私立の進学高への入学が決まっていたため地元の同年代の人間とはほとんど交流が無かったが、佐藤新也はニュータウンの新設校の東中では珍しい不良としてちょっとした有名人であり、以前から名前は何度か耳にしていた。
この辺一帯の地主であった佐藤家がニュータウンの造成に当たって所有していた土地を売却、思わぬ巨額の収入を得たのである。もともと一家そろって勤勉さとは程遠かった佐藤家だったが、それを気に一気に享楽的な生活に足を踏み入れるのに至ったのだ。
新也ももともと手のつけられぬ乱暴者だったが、地元のA工業高校へ進学してからもいっぱしの不良少年への道を歩んでいった。
それがあまり表面的な暴力事件などへ発展しなかったのは、新也が高校で野球部に所属したことによるものが大きい。A工業高校野球部はかつては甲子園にも出場したことのある名門だったが、最近の凋落ぶりは目を覆わんばかりであり、いまやA工業の不良の巣窟ともいわれるほどであった。

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