第70話 新鮮な生贄(4)

「おや、ついさっき命令には逆らわないと誓ったばかりじゃねえのか」
龍がすっと目を細めて貴美子を見ると、貴美子は蛇ににらまれた蛙のように目を伏せる。
「わかったか、わかったら返事をしろ」
「だけど……生徒でも職員でもない部外者が部活動のマネージャーなんかになれるでしょうか」
大学に通いながら縁もゆかりもない高校の野球部のマネージャーなど、できるはずがない。貴美子は俯きながら気弱な声を上げる。
「そんなことはお前が心配する必要はない。命令に従うのか、従わないのかを答えろ」
「……従います」
貴美子の言葉に新也と正明はわっと歓声をあげる。
「こりゃすげえや!」
「こいつを俺たち専属の女にしていいって事ですね」
「そんなっ」
2人の不良少年が興奮して叫ぶようにいうと、貴美子は頭を殴られたような衝撃を受け、龍に縋り付くような目を向ける。
「馬鹿野郎。ガキの分際で何を考えているんだ」
龍はそれまでの静かな口調を一変させて2人を怒鳴りつける。龍の迫力に新也と正明はひっと声を上げ、首をすくめる。
「さかりのついたお前達に好きなようにさせたら折角の上玉がぶっ壊れてしまう。いいか、お前達の小汚ねえチンポの先っぽでもこの女に入れてみろ。輪切りにして口に詰め込んでやるから、そう思えっ」
「わ、わかりましたっ」
2人の不良少年は顔を真っ青にしながら口をそろえて答える。
「で、でも……それじゃどうしてマネージャーなんかに……」
正明が恐る恐る龍に尋ねる。
「それは後で教えてやる」
龍はそっけなく答える。
正明の発した疑問は同時に貴美子の疑問でもある。どうしてそんなことをしなければならないのか。
「あの……俺たちはいいですが、他の連中……特にこの女にぶっとばされた奴らはおさまりがつかないかも知れませんよ」
「そのことに対する詫びはきっちり入れさせてやる」
龍は冷酷そうな目をキラリと光らせる。
「それでもガタガタ言う奴らがいれば、この女はやくざの情婦(いろ)で、お前達がそのやくざの依頼で預けられている、とでも説明しておけ」
「はい……わかりました」
2人の不良少年は素直に頷く。
いったい龍という男は何をねらっているのか。今思えば昨夜の新也たちは明らかに貴美子をターゲットに待ち伏せをかけてきた。貴美子は新也たちに狙われるような覚えはまったくない。
新也たちだけなら貴美子の空手で防ぐこともできたが、その場に龍が現れたのも偶然とは思えない。貴美子は朦朧とした頭で、そんなことを考えている。
「いいか、明後日の午後5時、この部室に集合だ。来なかったらどうなるか、わかっているな」
「はい……わかっています」
とにかくこの場を早く逃れたいという一心で、貴美子は従順に頷く――そうだ、帰ってから母に相談したらきっと何か、解決策を講じてくれるに違いない。貴美子はすでに父、母、そして妹までが落ち込んでいる地獄に、自らも小椋家の最後の一員として足を踏み入れたことに未だに気づかないでいた。

加藤健一はその日の放課後、小椋里佳子に呼び出されて東公園に向かっていた。
健一と同じ三年の里佳子とは二年連続で同じクラスになり、しのぶが昨年PTAの厚生委員を引き受けた時に会長を務めていた里佳子の母、裕子と親しくなったことから言葉を交わすようになった。
そのまま交際に進めば、東中きっての美少女である里佳子と、しのぶに似た端正な美少年の健一とはお似合いのカップルになったはずであるが、二人ともかえって周囲の目を意識し、友人以上の関係になることはなかった。
三年になってクラスが分かれ、互いに受験勉強が忙しくなると必然的に二人は疎遠になっていった。しかし、健一にとって里佳子は常に気になる存在であり、ここのところ里佳子が沈んでいる様子を遠くから見て気遣ってはいたのだ。
母のしのぶと、里佳子の母のことで相談があると里佳子から告げられた健一は、久しぶりに里佳子と話すことができるという高揚感とともに漠然とした不安が胸の中に湧き上がってくるのを感じていた。
ここのところの母の変化については健一も気づいており、一体何があったのかと頭を悩ませていた。父の達彦と母は息子の健一から見ても仲睦まじい夫婦だったのだが、一カ月半ほど前、しのぶが夜の勤めを始めてから二人の仲は妙によそよそしくなっている。
しのぶ自身も当初は外の世界に触れた刺激からか、浮き浮きしていた様子だったのだが、最近は夜も家を空けることが多く、家にいても心ここにあらずと言った風情でぼおっとしていることが多い。一カ月ほど前から持つようになった携帯電話が鳴れば、はっとした表情になり、健一たちに聞こえないようとしてか、寝室に入って何やら話している。
専業主婦のしのぶは以前は健一や、妹の香奈のことをうるさいほど構っていたのだが、今は完全に放任状態といってよく兄妹は食事もコンビニの弁当で済まさなければいけないこともしばしばであった。
さらに数日前から、妹の香奈まで様子がおかしくなっていた。深刻な表情でふさぎこんでおり、時々健一にとって何か言いたそうな表情を向けるが、健一が気遣って話しかけると急に黙り込むか、話を逸らしてしまう。
知らないところで家庭が徐々に崩壊していく不気味な予感を健一は知覚し始めていた。家族にとって空気のような存在だと思っていた母親の役割がこれ程重要なものだったとは――健一はそんな当たり前のことを改めて痛感するのだった。
里佳子は約束どおり、東公園にある自治会の集会所の裏手、掲示板の前で立っていた。頼りなげに佇んでいる里佳子のその姿は健一には不思議なほど弱々しく思えた。
「小椋さん」
健一が呼びかけると、里佳子はびっくりしたような顔を向けた。
「加藤君……」
里佳子のその表情は、ふだんの勝ち気な性格に似合わぬほど頼りなげで、同時に何か鮮烈な色気のようなものを感じさせ、健一をどぎまぎさせるのだ。

「……うまくやってるかしら」
小塚美樹と荏原誠一は、東公園を見下ろせる美樹のマンションで、誠一がセットした集音マイクと望遠レンズを使って里佳子と健一の様子を伺っていた。
「なんだか、ドラマの一場面を見ているようだよ」
2人の姿にレンズを向けている誠一も、興奮の色を隠せない。同性愛者である誠一が美樹に協力して里佳子の調教に手を貸したのは、いずれ美樹の教え子であり、小椋裕子とともに早朝の露出ジョギングを強いられていた加藤しのぶの息子、健一を手にいれるためであった。
いよいよ今日は誠一の念願がかなう日なのだ。
「土壇場になって里佳子が裏切らないか?」
誠一はそわそわした声で美樹に問いかける。
「大丈夫よ」

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