第89話 3匹の牝馬(2)

「口を開けろ」
「な、何……」
「いいから開けるんだ」
貴美子が震えながら口を開いたところに、龍はボンペのノズルを向け、中の気体をシュッと吹き付ける。
「きゃっ」
「ただのヘリウムガスだ。毒はない。もう一度開けろ」
再び貴美子の口中にガスが吹き付けられる。
「ちょっとしゃべってみろ。そうだな、自分の名前を言ってみろ」
「……オグラ、キミコ」
貴美子の口から発せられたのは、ドナルドダッグのような潰れた滑稽な声だった。
「それでしばらくは大丈夫だろう。よし、行け」
貴美子は再び龍に押し出されるように車外に出る。香織は車内の龍が軽く目配せするのを認めると、分かったと言う風に頷く。
「こっちへいらっしゃい」
香織に手招きされ、男たちの刺すような好奇の視線の中、貴美子はコンビニの前に進み出る。
「いい、簡単に自己紹介してもらうわ。あなたはここでは『ユウコ2号』と名乗るのよ」
「ど、どうして……」
母の名を……という言葉を貴美子は呑み込む。
「いいから言うとおりにするのよ。本名を名乗らされるよりはましでしょう。それから、こんな風にいいなさい」
「ああ……」
それはA工業高校野球部の部員たちの前で飯島によって強いられた挨拶とほとんど同じだった。貴美子は絶望に天を仰ぐ。
もしこの場にA工業高校や野球部の関係者がいたら、欲情にギラギラ光る視線を送っている男達の一人が部員の父兄なら、変態的な全頭マスクを身につけ、マイクロビキニのみの半裸を晒した痴女まがいの娘が、先週から野球部のマネージャーになった物好きな女子大生、慶応大学に通う小椋貴美子だということは簡単にわかってしまうだろう。
(ああ……お母さん……助けて)
貴美子はまるで守護神に祈るように胸の中で母の名を呼ぶ。
週末は結局龍に拘束され、激しいセックス調教を受けていたため裕子に連絡を取ることができなかった。早く母に助けを求めなければ大変なことになってしまう。やや頼りない父の道夫に変わって、時に父親の役割を果たしてくれた母。東中の運動会で妹の里佳子や加藤香奈の太腿を執拗にねらっていた変質者まがいの父兄を勇敢にも摘発した母なら、必ず自分の陥った苦境を救ってくれる。そのことだけが貴美子の頼りの綱だった。
もちろん貴美子は、今自分の半裸身に好奇の目を向けている男達の一人がその時の盗撮魔、脇坂であることは知る由もなかった。
一方、ジョギングへの新たな参加者の姿を近くで見た裕子は言い知れぬ不安に襲われている。
(あの身体つき……もしや……)
いや、まさかと首を振るが、裕子の頭から恐ろしい疑念は消えない。裕子がそれを必死に否定していると、貴美子の挨拶が始まった。
「皆様……お見苦しい姿をお目にかけ、申し訳ございません。わ、私、名前をユウコ2号と申します。ほ、本名を名乗るのはお許しください。年齢は18歳、だ、大学1年です」
貴美子がドナルドダックのような声で話し出すと、男達からいっせいに哄笑が沸き起こる。香織はそれを制するように手を上げると、男達は静まり返る。
(まさか……)
ユウコ2号……大学1年……恐ろしい疑念はますます大きさを増し、裕子を押し潰して行くようである。
「わ、私、生まれ持った性質と特殊な家庭環境のせいか、人様に比べしゅ、羞恥心というものが著しく欠如した性格に育ってしまいました。つまり、ひ、人前で裸になることもほとんど恥ずかしいと思わないのです」
「このままでは、ま、まともな社会生活を送ることもままならず、同じような性癖を持つ母と相談の上、み、皆様の早朝ジョギングに参加させていただくことになりました」
「そ、早朝ジョギングでは参加する女性は身につけることを許されるのはビキニの上下のみ。ご、ご一緒させていただく殿方の視線に毎日晒されていれば、自然に羞恥心が身につくだろうとの一種のショック療法でございます。み、皆様には大変ご迷惑をおかけしますが、なにとぞユウコ2号の社会復帰のため、お力添えを賜りたく、よろしくお願い申し上げます」
貴美子の珍妙な挨拶が終わると、再び男たちからどっと哄笑が沸き起こる。
「ユウコ2号か、なるほど。どことなく身体つきも1号と似ているじゃないか」
「1号ほどは熟れていないぜ。しかし、すっと背が高いところや、腰がしっかりと張り出しているところなんかそっくりだ」
脇坂や赤沢は裕子と貴美子のマイクロビキニからはみ出さんばかりに熟れ切った乳房や尻を見比べながら笑い合うのだ。
羞恥に身を縮めるようにしている裕子を眺めている貴美子の頭の中にも、黒雲のような不安が広がって行く。
(あの女の人……もしかして……)
母の裕子ではという疑念が貴美子の中に生まれて来ているのだ。
いや、そんな馬鹿なことがあるはずがない。母と娘が互いに知らされないまま辱めを受けて、こんなおぞましい行為を強いられるなんて。だいたい私を襲ったA工業高校の不良たちも、苛酷なセックス調教を施した龍も、母との接点はないはず――。
そこまで考えた貴美子は恐ろしい事実に思い当たる。
彼らと母が接点はないというのは本当だろうか。私を襲ったA工業高校野球部の不良たちのリーダーである佐藤新也の母親、佐藤文子は母の裕子が自治会副会長の職務を引き継いだ相手である。
貴美子は不良たちから襲われた夜、新也が他の不良たちに発した言葉を思い出している。
(いまさらビビってるんじゃねえよ。瀬尾たちからその女の母親のことは聞いただろう)
いったい彼らは母の何を聞いたのか。娘である自分を襲っても構わないと思わせるようなことを母がしたとでもいうのか。
その時は母が持ち前の正義感を発揮し、不良たちをたしなめるような行動を取ったことで恨みを買ったのかと思っていた。しかしそうではなく、何か母の裕子の弱みを握れるような現場を目撃したのではないかという疑惑が貴美子の中に生まれて来ているのだ。
あの引き締まった身体つき、豊かな乳房と腰の張り、それらは紛れも無く母の裕子の特徴を示しているのだ。もし母と娘がそろってこのようなあられもない姿のまま青天井の下でジョギングさせられるとしたら、これほど滑稽なまでの悲劇はあるだろうか。
「それじゃあ早速ストレッチを始めようじゃないか。新入りとは……そうだな、朽木さん、相手をしてやれよ」
脇坂に指名されて朽木と呼ばれた眼鏡をかけた小太りの男が進み出る。朽木は脇坂の仲間の一人だが、暗く陰湿な性格が災いして40歳を過ぎた現在までほとんど女に縁がなく、もちろん独身である。
かといってソープやヘルスといった風俗で欲望を発散するほどの積極性もなく、年齢に比して旺盛なその性欲をアダルトビデオやインターネットのポルノ映像を見ながら一人で処理している。

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