第134話 吹きすさぶ淫風(1)

有美と留美の母親である山崎奈美は年齢はすでに40歳だが少女を思わせる童顔であり、ともすれば実際よりも10歳近く若く見られることも多い。奈美と加藤しのぶとはともにやや内気な性格で、またそれぞれの娘である留美と香奈が親友同士ということもあり、以前から親しく付き合っている。
引っ込み思案の奈美は役職めいたものを引き受けることは苦手だったが、娘が2人とも東中に通っていることと、また昨年の委員であるしのぶから懇願されたことからその後を引き継ぎ、PTAの厚生委員を務めている。
PTA会長である小椋裕子とはそれまでほとんど面識はなかったが、自分とは対照的と言って良い行動力旺盛な性格、知性と教養に裏付けられた会話、そして女優を思わせる整った美貌に奈美はたちまち引き付けられた。また3年になってから奈美の娘で留美の姉の有美と、裕子の娘の里佳子が同じクラスになったことから親しさはいっそう増した。
その小椋裕子から突然メールで、PTA執行部の緊急会議を行うという内容の呼び出しのあった奈美は、訝しい思いを抱えたまま中央公園にある自治会館に向かった。
先週末の梅雨入り宣言が嘘のようにそれは青く晴れている。日中の気温は30度を越えるだろうという天気予報を思い出し、暑さに弱い奈美はうんざりした気分になる。
出掛けに義母からの電話を受けたため、奈美は約束の時間に5分ほど遅れた。集会室の中央にはPTA会長の裕子が悄然とした面持ちで座っており、奈美はほんの暫く見ない間の裕子の変貌ぶりに目を見張る。
いつも溢れんばかりのエネルギーを発散させていた裕子はいまや人が変わったように面やつれしており、睡眠不足のためと思われる目の下の隈を厚いファンデーションで覆い隠している。
元々の顔の作りが派手なこともあり、裕子はあまり厚化粧はしないタイプだったが、今日の裕子は毒々しいほどの濃いメイクをしており、まるで商売女のようである。
裕子の隣は前厚生委員の加藤しのぶが同様に肩を落として座っている。周囲には副会長の池谷昌子、書記の長山美智恵、会計担当の福山春美、総務の岡部摩耶、そして監査の中城圭子といったPTA執行部の主要メンバーが並んでいる。
その他部屋の中にはAニュータウン自治会副会長の佐藤文子と書記の瀬尾良江、そしてなぜか留美の同学年である世良史織の母親で駅前のスナック「かおり」のママ、世良香織の姿があった。
副会長の昌子、書記の美智恵、総務の摩耶は困惑し切ったという表情をしている。監査の圭子はなぜか勝ち誇ったような笑みを浮かべており、会計の春美はどことなく落ち着かないという風情で、あたりに視線を泳がせている。
「遅れてごめんなさい」
奈美は頭を下げるが、裕子はもちろん昌子や美智恵も心ここにあらずといった感じである。奈美は摩耶の隣に座る。
「暑いわね。冷房の効きが悪いのかしら」
摩耶が小声でそう言うと、テーブルの上のミネラルウォーターのボトルに手を伸ばす。350CC入りのそれはすでに2分の1ほどが減っている。奈美も自分の前のボトルの封を切り、口をつける。ボトルはよく冷えており、乾いた喉に心地よい。奈美は汗が出るのもかまわず一気に100CCほどを飲む。
「広報の前田さんは欠席だから、これで全部ね。じゃあ、始めましょう」
昌子が口を開く。
「今日は会長に代わって副会長の私が会議の議長を務めさせていただきます。いいかしら?」
美智恵、春美、摩耶、圭子がいっせいに頷くが、奈美だけが訳が分からないまま表情を曇らせる。
「山崎さんは事情が分からないのね。後で説明するけれど、今回の議題は小椋会長に関わることなの」
「どうして自治会の佐藤副会長が出席しているんですか?」
「自治会にも関係していることなのよ。東中ではなく、わざわざ自治会の集会場に集まってもらったのはそのせいなの」
そこで昌子はちらと文子の方を見る。文子が頷くのを見て昌子は言葉を続ける。
「詳しくは監査担当の中城さんに報告をお願いします」
圭子は微笑を浮かべながら立ち上がると、手に持ったA4の書類を読み上げる。
「それでは報告します。このたび東中PTAの会計帳簿の定例監査を行ったところ、重要な不正が発覚致しました。小椋会長による2期にわたってのPTA会費の使い込みです」
奈美は驚いて裕子の顔を見る。裕子は苦しげに歪めた顔をじっと伏せている。
「不正の手法は、小椋会長が前期副会長を務めていたAニュータウン自治会に対する賛助金、役務提供料、顧問料などのいくつかの会計項目にわたる架空支払いです。その回数の多さと金額の大きさに不審に思い自治会の佐藤副会長に照会したところ、自治会ではそれと対応する金銭の受取りはいっさい存在しないということが判明しました」
そこで自治会書記の瀬尾が立ち上がり発言する。
「それで自治会側でも先期の会計帳簿を精査したところ、PTAに対する同様の支出が自治会にもあることが分かりました。同じくPTAの帳簿と照合したところ、これも架空のものであることが分かりました」
次に自治会副会長の文子が口を開く。
「ご存じの通り、先期の小椋副会長は高齢の自治会長に代わって自治会の運営を事実上取り仕切っており、銀行印も管理し、金銭の支出についても独断で行っていました。また、こちらもまさかPTAに対する支払いが架空のものとは考えもしなかったため、不正の発覚が遅れました」
圭子が報告を再開する。
「小椋会長による不正支出総額はなんとPTA側で300万円、自治会側で200万円の合計で500万円に上ることが判明したのです」
(500万円……)
奈美は驚愕して再び裕子の顔を見る。裕子は苦渋に満ちた表情で顔を伏せたまま上げようとしない。
「小椋会長は人望、実行力ともに優れ、自治会においても東中PTAにおいても会員たちの全幅の信頼を集めていた人です。私達共に働く役員も同様だったということはいうまでもありません」
監査担当の圭子はやや揶揄的な調子で続ける。昌子、美智恵、摩耶といった役員たちは苦しげに顔をしかめる。東中PTA執行部はこれまで裕子の良い意味でのワンマン体制であり、副会長の昌子を始め、美智恵、摩耶、今日は欠席している広報の前田さおり、そして奈美といった役員たちは裕子のシンパだったと言える。
冷笑癖のある監査担当の圭子は彼女たちとは距離を置いており、圭子と親しい会計の春美はどっちつかずという立場だった。
監査担当はPTA執行部の運営、特に会計支出の是非をチェックする立場にある。会長の不正行為は、それを見過ごしていた他の執行部役員たちの怠慢とも取られ兼ねず、特に金銭の補償問題などがからむと話はややこしくなる。昌子を始め、他の裕子のシンパの役員たちも、この場の主導権は圭子に譲る他はなかった。
「私はどうして会長がこのようなことをしたのか、何か事情があるに違いないと思い、自治会の協力を得て調査を行いました。すると、驚くべきことが判明したのです」
副会長の昌子と書記の美智恵が首を傾げる。裕子と共に執行部の三役である彼女たちは会議が始める前に圭子から不正の事実そのものは概要の報告を受けていたが、その背景については知らされていない。
「これをご覧ください」
圭子は大きめの紙袋から数枚の写真を取り出すと、テーブルの上に並べる。それを見た執行部の女達から悲鳴のような声が上がる。

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