第136話 吹きすさぶ淫風(3)

「皆さん、ご存じかと思うけれど、売春というのは日本では法律で触れることなの。ソープランドの個室で客が女の子を抱くのは、あくまで『個室浴場の中で、マッサージ嬢が客にマッサージを施す過程で互いに恋愛感情が生じ、ことに及んだ』という建前なの。だからソープ嬢が客寄せのために自分の営業用の名刺を配るなんてことは、ほぼ犯罪に等しいのよ」
香織は険しい顔でしのぶと裕子の顔を順に見つめる。先程から2人は一言も発せず首を項垂れさせている。
「そんなことにうちの店を利用されたなんて、たまったものじゃないわ。店の信用に関わるわ」
香織は次に昌子、美智恵と言った執行部メンバーの顔を見る。裕子のシンパだった2人だが、香織の怒りが飛び火して下手に責任を追及されてもたまらない。元はPTAの不正会計に端を発する事柄なのだ。
「小椋さん、今の世良さんの話は本当なの?」
副会長の昌子がやや尖った声で尋ねるが、裕子は顔を伏せたまま答えない。
もちろん不正会計などでっちあげである。香織の書いた筋書きを文子と良江が演じ、さらに以前から文子が親しくしていた圭子が乗り、会計の春美を抱き込んだものである。
裕子としのぶがそんな汚名を拒むことが出来なかったのは、それぞれの子供達を人質に取られたからである。公園での露出行為は2人だけでなく貴美子、里佳子、そして健一や香奈も参加している。今朝も「かおり」での勝負に負けた加藤家の3人は東公園まで全裸でのジョギングを強いられたばかりなのだ。
使い込みの汚名を着れば娘や息子たちの露出行為は公にしない、そればかりか朝のジョギングから子供たちを解放させてやっても良い。香織から出されたその条件を2人は呑まざるを得なかったのだ。
監査の中城圭子は生来嫉妬深い性格と人を苛んで悦ぶ性癖を有しており、以前からPTAの中心的存在であった裕子に対して敵意に近い反感を持っていた。香織の言う裕子の不正行為を完全に信じた訳ではなかったが、これを機会に東中の女王的存在である裕子を、その支援者である昌子や摩耶たちと同時に引きずり下ろすことが出来ると思うと、たまらない快感を覚えたのである。
おまけに自分は監査という立場だから、不正行為そのものに対してなんら責任は発生しない。むしろ不正を発見した殊勲者である、責任を負うのは会長の裕子、そして不正を見逃した現執行部メンバーなのだ。
「会長、どうなの? 答えてちょうだい!」
昌子が再度詰問するように尋ねると、ようやく裕子が頷く。
「……本当ですわ」
昌子、美智恵、摩耶といった執行部メンバーからため息に似た声が漏れる。奈美も依然信じられないと言った表情を抑えることが出来ない。
「そうすると加藤さんも使い込みの共犯という立場になるけど、認めるの?」
「……認めます」
昌子の問いにしのぶが頷く。執行部メンバーから再びため息が漏れる。
「なんてことなの……」
書記の美智恵が失望の声を上げる。美智恵は昌子とともに熱心な裕子のシンパであったため、裏切られたという思いは強い。
「お2人とも不正行為を認めたからには、罪を償ってもらわないといけないわね」
圭子が勝ち誇ったように口を開く。
「監査担当として以下のとおり提案します。小椋裕子会長は本日をもって会長職を解任。自治会側の200万円は小椋裕子自身の問題だからPTAは関与しない。PTAの不正支出300万円は小椋裕子と加藤しのぶが共同して即時返却する。それが出来ない場合は副会長の池谷さんは90万円、書記の長山さん、会計の福山さんは60万円、総務の岡部さん、厚生の山崎さん、広報の前田さんはそれぞれ30万円を限度に2人の債務を代わって返済する」
「そ、そんなっ」
副会長の昌子が悲鳴に似た声を上げる。
「90万円なんて無理よ。とても払えないわ」
「私も60万円なんて……住宅ローンに教育費で一杯一杯なのよ。主人に説明できないわ」
書記の美智恵も声を揃える。
「私は……」
それまで沈黙を保っていた春美が口を開く。
「お支払いするわ。今回の件は会長の言いなりになって、支出に同意した会計担当の私の責任でもあるわ」
そう言うと春美は昌子と美智恵の方をちらりと見る。2人は居心地の悪そうな顔を伏せる。
「岡部さんと山崎さんはどうなの?」
圭子に尋ねられて、摩耶と奈美は顔を見合わせる。
「とにかく主人に相談しないと……」
奈美は蚊の鳴くような声で答え、顔を俯かせる。
今でも奈美は裕子やしのぶに限って不正行為など何かの間違いではという思いが強い。また、仮にそれが事実であったとしても何かよんどころない理由があってのことではないかと考えている。
しかし、だからといって専業主婦の奈美にとって、夫の了解もなく30万円ものお金を右から左に出すという訳には行かないのだ。
そんな執行部メンバーの様子を苦々しげな表情で眺めていた摩耶は圭子の方をきっと見返す。
「もし小椋会長の不正支出が真実で、会長がそれを補償することが出来ないというのなら、それは当然執行部メンバーにも責任があることだから、私の負担分はお支払いするわ」
摩耶がはっきりと金を払うと宣言したことで、圭子や文子はやや意外そうな表情を見せる。摩耶は元雑誌記者であり結婚、出産のため一時仕事を離れたが、現在はフリーの編集者兼ライターとして活躍しており、自分の自由になる収入もかなりある。
「ただ、今回の件はどうも腑に落ちないわ。私も編集やライターという仕事柄、ホストクラブの取材もしたことがあるわ。確かにホストにお金をつぎ込んで、借金で首が回らなくなる女の人が多いのは事実よ。ただ、そういった女性に小椋さんのようなタイプはほとんどいないわ」
「どう言うこと?」
昌子が訝しげな顔を摩耶に向ける。
「あそこは、お金を払ってでも若いイケメンにチヤホヤして欲しい女が行くのよ。お金と時間が余っている有閑マダムや30過ぎになっても結婚出来ないOL、風俗嬢といったところがメインのお客よ。小椋さんのような人が行く場所ではないわ。そんな場所に行かなくてもチヤホヤしてもらえる機会はいくらでもあるでしょう?」
摩耶はそう言うと圭子や文子の顔を見渡す。
「それじゃあ、私が嘘を言っているとでも言うの?」
摩耶の言葉に圭子が気色ばむ。
「嘘とまでは言っていないわ。腑に落ちないと言っているのよ」
摩耶は圭子の視線をはねつけるように見返す。
「それと、小椋さんがスナックのホステスのような夜の仕事はプライドが許さないとおっしゃったそうだけれど、ソープ嬢の仕事ならプライドが保てるとでも言うの? それもおかしな話だわ」
「それについてはご本人に直接聞いた方が良いんじゃないかしら」
圭子が裕子を意味ありげに見ると、裕子は顔を上げて話し始める。

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