第137話 吹きすさぶ淫風(4)

「それは――駅前のスナックならお客の中に知り合いがいて、私が働いていることはすぐに知れてしまいます。現に加藤さんがそうでしたし……。吉原のソープなら知り合いに会う可能性はほとんどありませんから……」
「でも、Aニュータウンで営業をしていたんでしょう? 矛盾していないかしら」
「相手を選んで名刺を渡していました。それに、仮にそうだと分かってもソープに行ったことを自分から吹聴する人は少ないと思いました」
「そうかしら……」
裕子の言い分は一見したところ筋が通っているようにも思えるが、摩耶はやはり腑に落ちない。摩耶は再び圭子に向かって話しかける。
「とにかく、小椋さんや加藤さんが通っていたというホストクラブの名前を教えていただけるかしら?」
「そんなことを聞いてどうするの?」
「私なりに裏を取りたいのよ。業界に多少の知り合いもいることだし」
「そんなこと……岡部さんに関係ないでしょう」
「あら、関係ないことなんてないわよ。だって、30万円ものお金を払わなければいけないんでしょう?」
圭子は思わぬ難敵の出現に戸惑い、香織の方をちらと見る。
三役である副会長の昌子と書記の美智恵は裕子のイエスマンであり、逆に言うと自分の意見がないだけ御し易い。しかし、総務の摩耶はその仕事柄もあって日頃から自分の意見をしっかり持っており、会議でも必ずしも裕子に無条件に賛同するばかりではない。
「ホストクラブは新宿の『ドラゴン』だったかしら? ねえ、小椋さん」
香織が突然発言すると裕子は「は、はい……」とあわてて頷く。
「『ドラゴン』……」
摩耶はその名を聞いた時にほんの少し眉をしかめる。どこかで聞き覚えのある名前であるが思い出せない。
「これで気が済んだかしら?」
圭子に聞かれた摩耶は「ええ」と頷く。摩耶としてもこの場で裕子としのぶが不正行為を認めている限りは、証拠もないままこれ以上圭子を追求する訳にはいかない。
「それじゃあ、さっきの議題に戻るわ。副会長、まずは小椋会長の解任について賛否の意見を聞いて、決を採ってちょうだい」
「わ、わかったわ」
圭子にすっかり主導権を奪われたまま、副会長の昌子は議事を進める。
「長山さん、どうなの?」
「小椋会長自身が認めている以上、反対することは出来ないわ」
書記の美智恵の言葉に会計の春美が大きく頷く。昌子は次に困惑した表情を浮かべている奈美に昌子が尋ねる。
「山崎さんの意見は?」
「意見といっても……あんまり急なので……」
「早く決めて、次の手を打たないととんでもないことになるわよ」
春美に促されて、奈美は裕子に済まなそうな視線を投げ「賛成です」と小声で答える。
「岡部さんは?」
「この件は、学校側は知っているの? PTAのことは親だけでは決められないわ」
「校長先生や教頭先生はまだ御存じないわ。学年主任の桑田先生には報告済みで、今回の件は相談しています」
「そうなの……」
摩耶はしばし考え込み、やがて口を開く。
「事態を収拾するためには小椋会長に辞めていただくのはしょうがないわ。ただ、自治会やPTAの内輪の恥をさらすのもあまり良いこととは言えないから、解任ではなくて健康上の理由か何かで自発的に辞任という形を取るのが良いと思うわ」
「そうね……」
摩耶の意見に昌子と美智恵は頷き合うと、文子の方を見る。
「自治会側はそれで良いですか?」
「かまわないわ。金銭的なことさえ片付けば、こちらもあまり大事にはしたくないからね」
「中城さんは?」
「ちょっと甘すぎるような気もするけれど、特に異存はないわ」
「小椋さん、それでいいかしら?」
「……私には発言する資格はありません。皆さんにお任せします」
「わかりました。それでは小椋会長は今日付で健康上の理由をもって辞任ということで、皆さん異議はありませんね?」
昌子の言葉に美智恵、春美、摩耶が頷く。奈美もあわてて賛同する。
「それじゃあ、次の議題。300万円の不正支出の処理の件ですが……」
昌子はそこまで言うと美智恵と顔を見合わせる。裕子としのぶが即時返却するといっても、払えるのならもう払っているだろう。2人の言うことが本当なら、ホストクラブの取り立てが厳しくてそれどころではあるまい。確かに執行部メンバーの責任はある程度逃れ得ないとしても、副会長の昌子が90万円、美智恵が60万円といった多額の返済は到底出来るものではない。
ニュータウンに住む彼女たちは、一見華やかな生活の陰で重い住宅ローンや教育費の負担に苦しんでいる顔がある。昌子の夫も美智恵の夫も安定した企業のサラリーマンだが、いくら残業しても手当のつかない管理職であり、暮らし向きは決して楽ではないのだ。
PTAの役員といっても東中にはさほどの問題もなく、実質的には裕子以外は月に数回集まってたわいもない雑談をするだけということは夫にも見抜かれている。多忙を理由にパートすらしていない彼女たちがそのような金のことを持ち出せば、夫に何を言われるかわからない。
(どうしよう……)
奈美は考え込む。裕子が不正行為を認めた以上、PTA執行部は必然的にその責任を問われることになる。奈美の負担額はその中では小さいが、住宅ローンに加えて娘2人の教育費、しかもその1人は高校受験を控えている山崎家にとって30万円というのは少ないお金ではない。夫が怒る顔が目に見えるようで奈美は困惑の極に達する。
他の執行部メンバーも同様で、牽制し合うようにちらちらと互いの表情を伺っているのだ。
(それにしても暑いわ……本当にエアコンが壊れているのかしら)
テーブルの上のペットボトルはいつの間にか空になっている。他のメンバーも同様で、ハンカチを出して額の汗を押さえたり、妙に身体をもじもじさせたりしている。
「少しいいかしら?」
香織が急に発言を求めたので、昌子は戸惑う。
「お金のことで提案があるのだけれど?」
昌子は美智恵と頷き合うと、「どうぞ」と香織に発言を許可する。
「部外者で差し出がましいとは思ったのだけれど、発言を許していただいてありがとう。私もしのぶさんがホストクラブにはまっていることを相談されていながら、自治会やPTAのお金に手をつけるまで困っていることに気が付かなくて、責任を感じているの」
香織は婉然と微笑みながら辺りを見回す。
「それでお金のことなのだけれど、私が役員の皆さんに代わって穴埋めに必要な額を一時ご用立てしてもいいと考えているの」
「えっ?」
「本当なの?」
昌子と美智恵は驚いて香織の顔を見る。
「私は小椋さんと加藤さんから返してもらうわ。加藤さんには今までどおりうちの店に勤めていただくし、小椋さんにもそうしてもらう。それ以外にもほんの少しアルバイトをしていただく。そのお給料から天引きで少しずつ返していただければ良いわ」

Follow me!

コメント

PAGE TOP
タイトルとURLをコピーしました