第168話 蟻地獄の妻たち(6)

「そんな……私と山本先生はそんな淫らな関係ではありません」
「じゃあ、どうだって言うのよ」
圭子は奈美を問い詰める。
「それは……」
切羽詰まった奈美は山本とのことを話し始める。少女のころからスイミングスクールに通い、高校時代に水泳部に所属していた奈美は平泳ぎの有望な選手であり、インターハイで上位入賞をねらえるほどであった。
当時の水泳部顧問の山本は教師になって間もない20台半ばの、いかにもスポーツマンタイプといった感じの精悍な男だった。山本は通常の部活動終了後、学校に交渉してプールの使用時間を延長して奈美のために毎日のように個人指導を行ったというのである。
「……水泳は小さいころからやっていましたし、平泳ぎは特に自信がありました。ただ、山本先生はオリンピックを目指せなどといってくれましたが、私の実力ではそこまではとても……。インターハイで自分が納得のいく成績が出ればそれで良いと考えていたのです」
「でも、一生懸命練習している割りには記録が伸びません。山本先生は私の内向的な性格を指摘し、そのままでは出せる実力も出せない、結局自分が後悔して高校生活を終わることになると言いました。私なりに打ち込んできたことですから、納得いかない結果になることは絶対にいやでした。山本先生はある日私に、自分の殻を打ち破るために裸で泳いでみろといいました」
「裸で泳げですって?」
春美が目を丸くする。
「似たような話を聞いたことがあるわ。オリンピックにも出場した女性の水泳選手が、水の抵抗が一番少なくなるからと素っ裸で泳がされたって言っていたわ」
圭子が口を挟む。
「それで、どうしたの? 言われた通りに裸で泳いだの?」
「はい……」
奈美が頷いたので4人の女たちは驚きの声を上げる。
「後になって考えるとなんであんなことが出来たのか分かりませんが、その時は無我夢中でした。それでも最初はすごく恥ずかしかったのですが、何度か泳いでいるとだんだん山本先生の目も気にならなくなり、自分でも驚くほどの良いタイムが出たのです。私はうれしくなって山本先生に抱きつきました」
「裸のままで?」
春美の問いに奈美は頷く。
「山崎さんたら、天然なのね」
圭子が呆れたような声を出す。
「その時はコーチもすごく喜んでくれて、コーチが喜ぶのが私も嬉しかったんです。その後も同じ練習は続きましたが、もちろん素っ裸で泳いでいることなんて家族にも友人にも言えません。ある日の練習でいつも以上に身体が軽くて、それこそインターハイで優勝も夢じゃないようなタイムが出ました」
「私はいつものように、いえ、いつもよしもはしゃいで思い切り山本先生に抱き着きました。その時、気づいたのです。山本先生のジャージのズボンの前が思い切り膨らんでいたことを……」
「当たり前じゃない」
良江も呆れたように口を挟む。圭子は「先を聞きましょうよ」と奈美を促す。
「……私はびっくりして山本先生から離れました。先生はばつが悪そうな顔を私から逸らすようにしていましたが、ようやく『よ、よかったな、その調子だ』と答えました。
「裸の練習はその日限りで終わりました。そのまま続けていたらいずれ誰かに見つかっていたでしょうから、ちょうどよかったのかも知れません。ただ、私と山本先生の間にはぎこちない空気が残りました。タイムもどんどん落ちていきます。ある日、私の泳ぎに気が入っていないことに気づいた山本先生は、私をプールサイドの壁に手をついてお尻を突き出した姿勢にさせると、平手でお尻をたたき始めました」
女達は引き込まれるように奈美の話に聞き入っている。
「後になって思うと、先生は私の身体に欲情してしまったことが、せっかく私の記録が伸びていたのを台無しにしてしまったと思い込み、なんとか状況を打開しようとそんなショック療法に出たのではないかと思います。でも、その時の私は別の感覚をもっていました」
「別の感覚ですって?」
春美が聞き返す。
「私は山本先生のことをはっきりと男性として意識していたのです。尊敬していた山本先生が男性としての性欲をもっていたことが分かったことは、性に無知な私にとってショックなことでしたが、反面、山本先生が私を女性として意識してくれたことが嬉しかったのです」
「でも、その後山本先生はすっかりよそよそしくなっていました。先生の私に対する罪悪感がそうさせていたのだと思いますが、私はそんな状態が寂しかったのです。先生にお尻をたたかれながら、私は痛みとともに、まだ先生が見捨てないでいてくれるという安心感に浸っていました」
「それで、お尻叩きの効果はあったの?」
圭子がたずねると奈美は「はい」と答える。
「私のタイムは以前ほどではありませんでしたがかなり回復しました。でも、それもつかの間、すぐにじり貧になっていったのです。先生はまた私のお尻を叩きました。そして、そのうちに……」
「先生にお尻を叩いて欲しくて、わざと悪いタイムを出すようになったのでしょう?」
圭子の問いに奈美は俯き、「はい」と頷く。
「いけない快感に目覚めちゃった、って訳ね」
良江はそう言うと文子や春美と顔を見合わせて笑い合う。
「……結局私はインターハイには出場しましたが、平凡な記録に終わりました。高校を卒業してから山本先生との縁はなくなったのですが、3年後に先生が高校を辞めたことを聞きました」
「どうして?」
「生徒の対する不適切な指導が明るみに出たのです」
奈美の答えに、4人の女の口からため息のような声が漏れる。
「山崎さんが一人の有望な教師の将来を狂わせたって訳ね」
圭子の言葉に奈美は「そんな……」と抗議の声を上げる。
「そうでしょう? あなたは高校生の癖に、先生を誘惑していたのよ」
「誘惑だなんて……」
「自分からお尻叩きに誘って、その山本先生を倒錯の世界に引きずり込んだ訳でしょう」
「そんなつもりはありません」
「あなたが脇坂さんに犯されながら朦朧となって発した言葉が、あなたの本性を現しているわ。あなたは根っからの露出狂でマゾヒストなのよ。岡部さん以上、いえ、ひょっとすると加藤さんや小椋さん以上の素質があるかもしれないわ」
「そんな……私は違います」
奈美は必死で否定するが、圭子はニヤニヤ笑いながらそんな奈美のうろたえる様子を眺めている。その時春美が、「あら、噂をすれば岡部さんの登場よ」と声を上げる。
バーテンダーの龍が大きな銀のプレートを乗せたワゴンを押して現れる。プレートの上には全裸の岡部摩耶が仰向けに横たわっている。摩耶の肌の上には生ハム、ソーセージ、魚のマリネ、チーズ、そして様々な野菜類といったオードブルが並べられている。
龍はワゴンを押してそれぞれのボックスを回り始める。摩耶はまず文子や圭子たちのボックスの前にその屈辱的で滑稽な姿をさらす。

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